記憶の出ずるところ、向かうところ

最終更新: 2017/08/22

妹が近々結婚するという。日取りなどという話ではないが、いよいよ現実味を帯びているようである。

遠い目である。エゴイストの兄はおめでとうよりも先に苦笑いである。我が身を案ずるのである。

おまえが結婚すると、お兄ちゃんへの風当たりが強くなるなァと、やはり苦笑いで話した。

よく晴れていたので、ランニングに出かけた。いや、曇りでも出かけただろう。

何かに対して戦っている。自分の価値と、意識の高さ。この意識レベルの高さだけは落としてはだめだ、絶対にだめだ。豚野郎になどなるものか、実家暮らしでふぬけにもなるものか、本を読みまくることも、絵の制作も、一人暮らしのときとまったく変わらぬモチベーションで、ただただ淡々とひたすらに続けるのだ、高みを目指し続けるのだ、絶対に、絶対だ。怯えと、不安と、自負と、その他もろもろのマイナスともプラスともわからない情動から、そう、叫ぶように思う。

新しいランニングコースは海辺である。自宅から10分も走れば、瀬戸内海が望めるのだ。

ハンドクリームを塗りたくり、手のひらをマッサージしながら走った。いつかの記憶を呼び覚ます懐かしい風景に、見慣れぬ新造の建設物がひどく恣意的に点在し、それはほとんど別物の風景となって広がっていた。

海辺に出ると、新しい堤防ができていた。そこには、ランニングにはうってつけの、遊歩道もあった。

海の、その水面の揺らぎをまぶしく眺めながら走った。

高校のときだったか、夜、ここの海辺でなんとかって女の子と並んで座って、なんかよくわからないが、その子のおっぱいを揉んだよなあ、なんてことが、それが真実かどうかもあいまいな感じで、もやりもやりと思い出された。

水面はただただ揺らいでいる。泳げるわけもない、決してきれいではない海ではあるが、春めいた光が、水面をきらきらと弾ませていた。

この数年、そして今。なにをやってるんだろうなあ、いったいなんだったんだろうなあと、思わずにはいられない。正解も間違いもないのだが、どこか怯えているぼくは、空虚な努力でもってそれに抗って進むしかないのだと、思う。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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