茶髪金髪白髪染め

  2017/08/22

髪の色の話など唐突だなあと思われた方は異端者である。

しかし、昨日アップした読了本、「恐山 死者のいる場所 (新潮社)南直哉」を既にお読みの方はすぐに了解されたことと思う。が、読了本ブログについてはアクセスがほとんどないので、こちらまで読まれている方には恐山だけに恐れ入る。ついでに恐れ入谷の鬼子母神である。

閑話休題。

ヤンキーに、ましてや金髪のヤンキーに涙や悲しみは似合わない。どう考えても似合わない。あえて似合う液体を上げればタンやツバ、シンナーアルコールの類であって、涙という液体とは一切無縁である。

なぜ似合わないのか。それは金髪(もしくは茶髪)にはエネルギーがあるからである。それもたいていは若くて、ポジティブなエネルギー。

日本人ならば、ふつう黒髪で生まれてくる。よって、金髪にするにはそれなりの人為的操作が必要である。生まれた時から耳たぶに穴が空いている人はいないのと同じである。

つまり、何らかの動機があって、初めて人は金髪にしようと思い、金髪にする。

金髪の胸の内に、ネガティブな動機があるとはとても思えない。周りには少なくない友達がいるだろうし、その友達は、金髪を容認するような感覚を持ち合わせてもいるだろう。金髪にして孤立するような人は、そもそも金髪にはしない。金髪にすることによって、イメチェンだとか似合うだとか似合わないだとかいう周囲の声を聞き、とにかくはポジティブで楽しげなインパクトが期待される。そのような人こそが金髪にするのである。

だから人は、金髪に対しては——内実はどうであれ——、漠然とおっかない印象を受ける。誰も金髪をつまはじきにされた一人ぼっちのロンリーボーイだとは思わない。金髪は友達がいっぱいいる。それも寛大さによってではなく同類として金髪を容認する感覚を持った友達=程度の差こそあれ不良行為少年的な、友達。

そういった人たちはだいたいやるせないほど元気である。松葉杖や車椅子で不良行為を働く人は居ない。五体満足で無駄飯を重ね、筋骨たくましく猛々しい咆哮も自由自在という大前提があってはじめてヤンキー、ではなく金髪なのである。ゆえに金髪はおっかない。それはもしも何かあれば金髪はその健康な肉体でもって飛びかかってくるだろうおっかなさ、たとえ金髪をねじ伏せられたとしても、「仲間呼ぶぞ」という捨て台詞が待っているだろうおっかなさである。

だんだんと脱線してきた感がぬぐえないが、一方の白髪は悲しい。

白髪には涙が似合う。というか、まったく金髪の真逆である。

白髪は疲れている。子供は家を出ていき、夫との関係もくたびれてきている。今日まで子供のため夫のためと身を粉にしてがんばってきたのに、子供はつれない。夫は萎えている。いろんな部位が、いろんな意味で。

いったいなんのためにがんばってきたのだろう。いまさら問うてもしょうがないような疑問が、ぜんざいを煮るような厚ぼったさで、ごぼっ、ごぼっと、次から次へと浮かび上がってくる。

わたしはこれでよかったのだろうか。ふっと鏡を見つめる。白髪としわとしみの数が、残された人生の心もとなさを如実に表している。白髪は身震いする。これから、わたしはただ生きてただ死ぬだけだろうか。わたしの楽しみは? 喜びは?

現実逃避かもしれない。それでも、願わくばしわもしみも消し去りたい。しかし、そういう商品はマツモトキヨシには売っていない。しわを取る薬はまだないのである。ビタミンCをとろうがコエンザイムを飲もうがホワイトニングに励もうがしみは消えないのである。コンシーラーなんてしみを隠すだけなのだ。

結局一番まともな対処ができるのは白髪染めだけなのだ。しかもかなり安くて高品質な、白髪をあらゆる色に美しく染めてくれる、つまり、今日までの日々を粛々と背負ってきたからには仕方のない、言ってみれば勲章のような白髪を——そんな勲章は即刻返上したいところだろうけれども——いわば無かったことにしてくれるのが白髪染めである。

白髪は夢を見る。そうして、白髪染めを買い物かごの底の方にしのばせて、心なしかスキップみたいな足取りで、家に帰る。

「お母さん、きれいになったね。」

そんなCMが嘘八百なのは百も承知である。だけど七百ばかり足りないので、本当には承知していないのである。どうにもこうにも、悲しいかな、希望をそこに見出してしまうのである。

そもそも白髪染めは、白髪というマイナス要素を隠す、ごまかす、矯正するという行為であって、それは言ってみれば、より高いところに行こうとする前向きなエネルギーでは決してない。白髪染めが落ちてくると恥ずかしい、みっともないという感覚がその証拠である。金髪の根元が黒くなる、いわゆるプリンになるのとはわけが違うのである。それは悲しい、いやもっと、情けないとさえも言える。まったくもって、ネガティブなエネルギーというほかはない。

ここまで書いてきて気がついた。だからこそ、彼らは反目するのだ。金髪は白髪を嫌悪し、白髪は金髪を嫌悪する。それは実のところ単なる来し方行く末に過ぎないのだが、しかし誰も彼も、何のために生まれ何のために死ぬのかまったくわからないので、ただただ互いの得体の知れなさを忌み嫌うのである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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