だぁーいすきの喪失

  2015/07/03

昼メシをどこで食べるのか、それが問題だ。

"メシ"という言い方は好きではないのだが、こと昼食に関しては別である。ぼくは仕事がある日はもっぱら自前の弁当なのだが、これはエサと言っても過言ではないしろものである。だからこれは"食べる"ものではなく"食う"ものであり、つまりは"ごはん"ではなく"メシ"なのである。

って、いつかもまったく同じこと書いた気がする。まあいいや。

さて、職場は例によって辺境の稲荷町である。新宿や代々木のように、弁当を広げる適当な場所が点在しているわけではない。なので、めったやたらに歩き回ってようやく見つけた公園に、他の選択肢なく毎日通っているのである。

その公園は、小学校と幼稚園の真横にある。小学校にはグラウンドがあるのだが、幼稚園にはない。それで、幼稚園児およびその監督者たちは、公共の公園にも関わらず、さも幼稚園の敷地内であるかのような使い方をしているのであった。

ぼくは公園内にぽつぽつと四つほどある筒状の石の椅子に腰掛ける。だいたいいつもすべて空席になっている。なぜなら、子供たちは常時気が触れたようにぎゃーぎゃーと走り回っているので座る必要などないのである。

例外と言えば、園児の祖母とおぼしきおばあちゃんなどが座って、「たかし! 帽子をちゃんとかぶりなさい!」などと叫んでいるくらいのものである。

とにかくはぼくは、そこで弁当を広げる。そして食べながら、子供らの乱痴気騒ぎを眺めるともなく眺める。あまり凝視しないように気をつけながら。

というのも、前述のように幼稚園専用の公園のような感じになっているので、ぼくのような輩は、なにはなくとも不審者的な目で見られてしまうのである。つい最近も神戸で小学1年生の女児が殺害されていたが、そういう事件が起こればなおさらで、仕方がない面もあるだろうと思う。

だから、ぼくはできる限り無になるように努める。幼稚園児などうるさいだけで、無視というような態度である。

それにしても、思う。甥(実姉の子供)はあんなにもかわいいのに、そもそもぼくは子供が好きな方なのに、しかし、ここでの子供はほんとうにうるさいだけである。

子供というものは、積極的に関わらない限りはただのガキであり、かわいいというよりもうっとうしいだけであるらしい。それは、馬鹿らしいと思って距離を置いていたことが、実際にやってみると意外に楽しかったりするようなものなのかもしれない。

「あ、こっちにもあるよ! こっちにも!」

と、女の子と男の子の二人が、地面をはうようにして、ぼくのななめ前にある砂場のほうにやってきた。

「わ!こっちには黄色いBB弾!ねえねえねえ!いっぱいあるよ! 」

地面をよく見てみると、確かに、そこここにBB弾が落ちている。誰かしらが、エアガンで遊んだりしたのだろう。

「うわぁーあ!こっちは白いよ!もっとあるよ!」

二人はほとんど狂気をはらんだ感じで、地面に散らばっているBB弾を、ハトがエサをついばむようにせわしなく拾い集める。

「BB弾いっぱい!いっぱいあるっ!」

彼らの目には、BB弾が現金にも等しい魅力を持って映じているのであろう。その光景は、俗な雑誌の巻末のほうによく載っている、竜だか虎だかのブレスレットをつけたら金に女にウハウハですのバブリーな写真にも似ていた。どうやら生まれながらに人間は欲望の塊であって、その欲望が過度に充足させられるときには、狂喜し、恍惚として、そして溺れるようにできているものなのかもしれない。

「わたし、BB弾だぁーいすき!」

女の子が言った。はからずもぼくは噴き出した。大人にはもう決してできない、あるいは恋愛にのめり込んでいる女子高生あたりでぎりぎり再現できるかどうかという、あまりにも素直で率直かつ暑苦しいほどの情感たっぷりの表現だったからだ。

「おれもおれも!BB弾だぁーいすき!」

男の子も続いてそう言ったが、それは女の子の口ぶりとはおよそ似ても似つかないもので、これといったおかしみは感じられなかった。

女の子の「わたし、BB弾だぁーいすき!」は、より詳細な表現を試みれば「わたし、BB弾んどぅわぁーいすきぃー!」であり、もっと言えば「わたし、BB弾んんどぅーうぇーいすきぃー!」、極端に言えば「わたし、BB弾んん んん do way sky!」であった。

つまり、適当に意訳すれば"天にも昇る"ということである。BB弾を拾い集めて昇天できる時分を子供と呼ぶならば、それこそ人類皆が目指すべき境地のような気がする。

しかし、大人になってしまった我々には、もはや天に召される昇天の一択が残されているだけで、子供たちをいくらうらやんでも望むべくもない。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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