夢がなくなった。
2017/08/22
会社のお昼休み。弁当を食べながらひさしぶりに新聞社のコラムを見て回っていると、興味深い記事に出会ったのでご紹介したい。
ちなみに久しぶりなのは、社内で弁当を食べていると、いつ上司にどうでもいい言いつけをされるか知らないので(休憩時間にも関わらず)、基本的には社外に避難して食べている次第である。
とりあえずは、以下に2014年10月18日付の四国新聞社コラムより転載するのでご一読のほどを。
《夢の乗り物》
この乗り物の愛称は何になるのだろう。リニア中央新幹線のことである。
50年前、開通した新幹線は「夢の超特急」と呼ばれた。当時、在来線で7時間を要した東京—大阪間を3時間10分に短縮したのだから、「ひかり」「こだま」の愛称に込められた思いは、21世紀へと走る明るい未来だったに違いない。
着工が認可されたリニア新幹線はその夢の超特急をはるかに凌駕(りょうが)する。完成すれば東京—大阪間は1時間7分。今の半分だ。2027年に開通する名古屋までなら45分。三大都市が完全に通勤圏となる。
線路にレールはない。特殊金属をマイナス269度に冷やして電気抵抗がゼロになる超電導状態をつくり、磁力で浮上して走るからだ。もうこれは鉄道と言えないのではないか。これまでの常識を超える乗り物。地上を飛ぶジェットのイメージだ。
祖父、父ともに国鉄マン。少年の頃は乗り物といえば鉄道だった。新幹線にも思い出が詰まっている。山陽新幹線が岡山まで開通した1年後の1973年の冬。大学受験の上京で初めて夢の超特急に対面した。高揚した。
宇高連絡船から宇野線を乗り継いで岡山駅に降りると、自由席の1号車を目指して猛ダッシュした。車両は団子鼻の初代新幹線「0型」。息を弾ませながら車体に触った感触は40年を経た今も手に残っている。冷たかった。
リニアが名古屋まで開通する13年後。日本はどう変わっているのだろうか。それも見てみたい。車体にも触れてみたい。元気で生きよう。
【転載元URL】http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/20141018000114.htm
正直なところ、たいした内容ではない。注目すべきは、「夢の超特急」という単語それだけである。その語の響きに、ぼくはおそろしく違和感を感じたのである。
もちろん、1980年代あたりには、この「夢の〜」という表現は、まさに夢のように甘美な響きでもって津々浦々の日本国民の耳に響いたのであろう。
しかし今、この表現の空々しさ、わびしさといったらどうだろう。試みに「夢の〜」という響きから連想してみる。するとどうして、さびれたテーマパークだとか、通行量の極端に少ない立派な道路だとかがするすると浮かんでくる。それは夢の後の残骸といった風である。
このような感覚は、別段ぼくが世の中をうがって見ているひねくれ者だからというわけではないと思う。うそだと思うなら、昨今登場したさまざまな事物に「夢の〜」をつけてみればすぐにわかる。
「夢のiPhone6」、「夢の東京スカイツリー」、「夢の高速無線LAN」、「夢の3D映画」、「夢の電気自動車」他、なんでもいい。
もしも今、このようなキャッチフレーズをつけるコピーライターがいたとしたら、さっさと転職をしたほうがいい。時代の空気を感じ表現する能力が皆無であり、呆れるほど向いていないから。
とてもじゃないが、夢なんて言葉を冠して胸おどらせるような時代ではないのだ。「夢の〜」なんて、それこそ冗談みたいな表現だ。
「夢の特盛りカレー全部のせ」、「夢のメガ生ジョッキ」、「夢の年金生活」、「夢の定時退社」とか。
このような表現ならば理解できる。からからに乾いた、悲しい表現ではあるのだが。しかし現代、夢とはこの程度のものだろう。
そう、夢がなくなった。
当たり前だろそんなことと思う反面、漠然とさびしい気もする。
我々の世代(1980年代生)が味わうことができなかったバブル、あるいはお立ち台、万博、太陽の塔。時代の波に翻弄され、人々は右往左往しながらも、しかしとにかくは上昇を続けている熱狂的な空気があった。
ぼくには想像することしができないが、そういう空気が確かにあったのだと思う。
採用面接に行くのに、交通費は言わずもがな、宿泊費まで支給された時代があったんだって。
どんな時代だよ。それこそ夢のようじゃないか。ぼくなら旅行がてら、一年くらい日本全国ぶらり採用面接の旅でもするんだけどな。
そういえば井上陽水の「夢の中へ」が発売されたのは1973年だった。そのころ、ほんとうに時代は"夢の中へ"向かっていたのだろう。
そして夢の中に突入した。そして通過して、現在。
「夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか?」って、そりゃまあそうだけど、夢の中へ行ったあとのことまでは考えていなかった。だから「ふふっふー」とごまかすしかなかったのかもしれない、なんて。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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