氷なんてものを削るのは人間だけ
2017/08/22
昨日の授業はそうめん。料理学校なのに!そうめん。主婦の手抜きの代表格、そうめん!
というわけで、昨日はクラスの出席率非常に悪し。まあ、みんなも「そうめんなんて学ぶ価値あるかァ〜?」と思ってのことでしょう。ええ、わかります、わかります、ミートゥー。
しかしぼくは一応は出席いたしまして、画像の通りそうめんを召し上がりました。家庭で再現しようと思うことはまずないであろうこの大げさな氷の器で。
なんかテーマは「涼の演出」とかなんとかかんとかで、まあ、普通にクーラーきいてるからそもそも涼しだろというのは言いっこなしで、氷の器でモア、もっと、涼を演出する、という授業。というか、涼、という漢字、ぼくには似合わない漢字だなあとふと思った。ぼくに似合うのは、寒、極、などであろう。
それにしても札幌の雪祭りよろしく、氷を削るって無益な虚しい作業だよなあ、なんて思う、いや、今思った。だって、ふつうに溶けて無くなってしまう。
そんなものを丁寧に削るなんて、人間くらいのものだろう。暇だよなァ〜。
閑話休題。
完食後、そうめんを盛った器だけがぽつねんと残った。残った器はどうするのかと先生に聞くと、溶かして水に流してください、とのこと。
もったいない!などとぶつぶつ言いつつ、蛇口からの流水で氷を溶かしていた同じ班の主婦は、しかし「楽しい〜、アハハハ」と氷が溶けていく様子に大喜びで笑っていた。
ああ、なんか平和だな、と思った。
そしてもう一枚の画像は、なにやらジュースを賭けて冷たさの我慢大会をしているらしかった、みんなの手。
おまえら何歳だよ!と思わなくもなかったが、やっぱり平和だなあと、思った。
やばい、手のひらの感覚が無くなってきた、もう無理、早く誰かギブアップしろよ、なんて会話を遠く聞きながら、床をほうきで掃きながら、こういう空気に、日々慰められているところが大いにあるなあと、しみじみと思った。
実際のところ、いろいろとむなしいことは多いのだけれど、慰めがあれば、なんとか生きていけるものだなあ、なんて。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
-
読書記録
2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。
- 前の記事
- ぼくやわたしの麻婆豆腐
- 次の記事
- 熱中症にご注意ください
関連記事
力強い経済をつくる(ある候補者の選挙公約に思う)
「力強い経済を実現して参ります」――安居酒屋に据えられたテレビで、選挙カーの上の ...