ネオテニーな夜

  2015/07/03

おとといのこと。家から徒歩3分ほどのところにある、しがない公園で納涼盆踊りとやらをやっていた、ので、行ってみた。

自宅にまで、太鼓の音や拡声器を通じたアナウンスなんかが響いてきていた。しかし、これといって心が躍るわけでもなかった。それはぼくの胸に、セミの鳴き声や車の走行音なんかと同様、ただの音としてしか響かないのであった。なぜって、もう子供じゃなくて大人だし、しかもけっこう冷めた人間だから。

公園に到着する。この町にこんなに人が居たのかと、ちょっと及び腰になるくらいの集客であった。中央に鉄骨のやぐらが組んであり、その周りを浴衣や普段着の老若男女が踊っていた、というより、ゆらゆらと風になびく旗のような感じで、全体がゆっくりと動いていた。

そばには、生ビール、焼きそば、焼き鳥、おでん、フランクフルト、ポップコーンなどの出店が出ていた。ぼくはおでんとフランクフルトを買った。

やぐら付近には座る場所がなかったので、公園の隅っこのベンチに腰掛けた。家から持ってきた缶ビールを空けた。目の前では無数の子供が駆けずり回り、ぎゃあぎゃあわめいている。

ぼくはビールをあおる。おでんをつまみ、フランクフルトをかじる。

ほとんどの子供が、出店で買ったのだろう、空気の入ったビニール製の浮き輪を剣の形にしたようなおもちゃを持っていて、ぽこんぱこんぺこんと、さかんに叩き合っている。いや、彼らにとっては本当に戦いであり、決闘なのだろう。空気の剣をかざして、互いににらみ合って静止していたり、なにやら必殺技らしきものを繰り出したりしている。

確か、ぼくもあんなんだったのになと思う。いつから大人になってしまったんだっけなと、思う。

いつまでが子供で、どこからが大人なんだろうか。その境界線について考えてみる。すぐに、はっきりとした境界線などあるわけがないと思う。

じゃあ、それはつまりネオテニーってやつなんじゃないかな、とか思う。ネオテニーとは、下記のような意味である。

ネオテニー(neoteny)は、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、幼態成熟ともいう。

【Wikipediaより転載 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%86%E3%83%8B%E3%83%BC

メキシコサンショウウオ、いわゆるアホロートルなどにみられる、らしい。以前、ネオテニージャパンという美術展があったので、それで初めて知った単語である。

それはともかく、ぼくはもう32歳にもなるのに、いまだに大人になったような気がしない。ずうっと、何もかもが許される子供のような心持ちでいる。蝶々とかみたいに、わかりやすく幼虫から成虫になるのであれば、この時までが子供で、この時からが大人だと明確な線引きができるのだけれども。

確かに、子供の時分に比べれば、言葉や物事をたくさん知ったし覚えたし、ある程度の世渡りもできるようになったし、図体も大きくなったし、なにより公共の施設や交通機関なんかではしっかり大人料金を徴収されるようになったのだけれども。

3歳くらいの男の子が、空気の剣を持って、よたよたと、少しばかり家族から離れた。それから、土中に半分以上埋まっているのだろう1メートルくらいの大きな石を、空気の剣で叩いた。

ぽこん、ぱこん、ぺこん。もちろん、石は微動だにしない。しかし、男の子は叩く。ぽこん、ぱこん、ぺこん。家族のほうにときどき目配せをしながら、空気の剣で、石を叩き続ける。

おでんもフランクフルトも残り少なくなり、缶ビールが空になる。目の前の男の子は石を叩くのをやめない。ぽこん、ぱこん、ぺこん。アルコールも手伝ってか、その行為が、非常に哲学的で深遠な意味を持っているような気がしてくる。柔らかい空気の剣で、硬い石を叩き続ける。ぽこん、ぱこん、ぺこん。

もしも、それを百回、千回、一万回、十万回、百万回、いやもっと、叩き続けたらどうなるのだろうかと思う。まあ、ふつうに考えたら、ほどなく空気の剣に穴が開いてしぼむ。それでおしまいである。

そう、無意味だと思う。ああ、永遠の子供を気取ってみたところで、どうしようもなく大人になってしまったんだなと思う。もう、ぼくには、逆立ちをしたって、そういうことはできないんだなと思う。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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