その銀歯はぼくだった。
2015/07/03
くちゃくちゃやってるとガリッとなった。ガムが突然凍ったのかと思った。銀歯が取れた。本日の画像のとおりである。
ハイチュウならまだわかる気もするが、ガムで取れるとは思わなかった。老朽化に違いないと思う。だからこの銀歯とは少なくとも数年、下手をすれば十数年、ぼくと一緒に、というかぼくだったわけだ。
でも取れてしまった瞬間から、ぼくではなく、ただの金属片になってしまった。
落ちていた彼女の髪の毛を、スケッチブックにセロテープで貼りつけて、しみじみとした日のことを思い出した。
ぼくは遠距離恋愛をしていたのであった。
彼女とは福岡の大学で知り合った。卒業して、正確には一年留年してから、ぼくは上京したので、そうなった。
彼女は佐賀県出身であった。だからというわけではないが、卑弥呼の邪馬台国のありかについてはもちろん九州説を信じたい。
彼女に会えるのは、三か月に一回程度だった。彼女が上京してきたり、ぼくが福岡に一人暮らしている彼女を訪ねたりした。
いま思えば、あのころはよく飛行機に乗っていた。それに、よくそんなにお金があったものだとも思う。
それはともかく、遠距離恋愛というのはとてもつらく、さびしいことだった。ひとりでも楽しめるようになろうと、一人で飲みに行くことを覚えたのもその頃だった。どうにも満たされず、日々は過ごすものではなくやり過ごすものでしかなかった。
その分、彼女と会える数日間は、世界にマイナスイオンや高濃度の酸素なんかがたっぷりばらまかれたかのように、吸っては吐き出す空気の味そのものが、違っているようだった。
しかし、彼女が帰ってしまうと、周囲にはたちまち、限りなく毒ガスに近い負の空気が満ち満ちた。
そんなときだった。ひとり部屋でうらぶれるぼくの目が、彼女の残していった髪の毛を映した。
そう、ただぼんやりと、映していた。
なんとなく、髪の毛をつまみ上げた。
なんとなく、スケッチブックをひろげて、載せてみた。
スケッチブックの白い紙の上に、髪の毛の輪郭がはっきりと浮かび上がった。
なにか大切なもののような気がして、セロテープを持ってきて、髪の毛をしっかりと貼りつけた。
どうして彼女の髪の毛はここにあるのに、彼女はここに居ないんだろう。この髪の毛には彼女のDNAがあるはずで、彼女そのものだとさえいえるのに、どうしてぼくはさびしく思うのだろう。どうしてこの髪の毛で、ぼくは満たされないのだろう。
恋は人を詩人にするというが、そんな格好のいいものではなく、むしろ漢字のとおり変人にするのが恋というものだろうとぼくは思う。
変人になってしまったからというわけでもあるまいが、そんな恋の結末はとてもつまらないものだった。
ぼくはある日酔っ払って彼女に電話して、よくある浮わついた行いをつい漏らしてしまったのだ。
いや、正確には漏らした"らしかった"。
次の日に電話して、彼女の態度が豹変していることで、ようやくぼくはそうと知った。泥酔していて、何も覚えていなかったのである。
彼女はただ、もう無理だと言った。ぼくは、電話ごしに伝わる空気から、彼女の気持ちが揺るぎないことを悟った。そしてひどくあっけなく終わった。
お互いに結婚するつもりでいたから、たぶん、愛し合っていたのだと思う。
愛するとは捨てないことであると遠藤周作が言っていた。彼はキリスト教徒であるから、病める時も健やかなる時もという例の精神を語ったまでかもしれない。
ぼくは捨てられたのだ、とは言わないし、思わない。しかし、そもそも捨てないということは、持っていることが前提である。持っていないものを捨てることはできない。つまり、愛は近く寄り添った状態でしかありえないのだと、ぼくは勝手に解釈する。
そう、はなから遠距離恋愛というものは永遠に恋でしかないのである。だからといってあのとき、仮に遠距離と恋が取り除かれていたら愛が残ったのかといえば、それもまたわからないからやっぱり"変"であったのだと思う。
きょうのわたし:4時起き絵の制作2ゲーム。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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