絵が褒められたときの気持ち
2017/08/22
外は雨。昨日の夜からずっと雨。ぼくはお昼ごはんに「親子みそパスタ」を食べて一息ついているところである。親子みそパスタというのは、鶏肉とネギなどが具のみそ味のパスタに、半熟玉子をのせたもの。つまり親子みそパスタである。
さて、とりあえず広島弁はもういいや。ということで、標準語に戻らせていただきます。
画像は先週の金曜日、学校の調理理論という授業で描いた絵である。将来どういう店を作りたいか、間取りなどの図面と、店舗の概観やメニューなどのラフスケッチを描いて提出する、という、ためになるのかならないのかよくわからない授業である。
で、もちろんぼくは将来つくりたい店舗などないので、ものすごく適当に描いた。でもヒマなので、デッサンの練習でもしとくかと思って、教科書に載っていただし巻き玉子とちくわを描いてみた。するとみんなに上手いだとかさすがだとかちょっと及び腰になってしまうくらい声を大にして褒められた。そしてぼくはうれしいのかなんなのか、とにかくは赤面してはにかんでいた。
なんか、子供のときとなんにも変わらないなあ、と思った。
いつかぼくが絵を描くようになったのは、親や誰かしらが、同じように褒めてくれたからではなかったか。そうしてその気になったぼくは、ひたすらに描画を重ねただけではなかったか。
小学三年生のときの、担任の先生のことを思いだす。学年が上がって、その先生が担任になったとき、先生は言った。「がんばりノート」というものを作ります。そのノートにはなんでもいいから自分のがんばりたいことを書いてください。算数でも、漢字の書き取りでも、日記でも、なんでも自由に書いてください。そうしたら、先生がそれを見て、マルをつけます。一冊終わるごとに、ごほうびとして、賞状を渡します。
別に先生がノートを用意するわけではなく、各々が、ふつうの大学ノートを用意した。よくある、まあ30ページくらいのものである。
みんないろいろがんばっているようだったが、そのころからぼくは他人に興味がなかったので、みんなが何をしていたのかは全然覚えていない。とにかくはぼくは、ひたすらに絵を描いては提出していた。先生はとてもまめに、いま自分が大人になって考えてみれば、ちょっと頭が上がらないなあというほど丁寧に、ひとつひとつにマルをつけて、またコメントをつけてくれたりした。
それは毎回、とてもうれしいことだった。
一冊が終わると、賞状をくれた。ちょっと厚めの色のついた画用紙に、リボンかなんかがあしらってある手作りのもので、がんばりノート何冊目、よくがんばりましたと書いてあった。
それはそれは、とてもうれしいことだった。今でもだが、褒められることが、なによりも好きだったのだ。そして盲目的でもあった。
ぼくはひたすらに絵を描いた。ガンダムをはじめ、コロコロコミックにのっているマンガのキャラクターなんかを、描いて描いて描きまくった。
みんなはきっと算数や漢字の書き取りをしているのだから当たり前かもしれないが、ぼくのがんばりノートの冊数は、クラスで一番になっていた。
ぼくはとても子供らしく盲目的だった。冊数を重ねるうちにいつしか、絵を描くこと自体をがんばるのではなく、一冊を終わらせること、賞状をもらうことをこそ目指すようになっていた。
そのころのノートは今も実家に残っていて、特に盲目的だったときのぼくをきちんと見てくれている先生は、こんなコメントを残してくれている。
最近絵が雑になってきています。もう少し丁寧に書きましょう。
そして10冊目を終えたときのコメントには、こうある。
絵はもう十分にがんばったので、つぎは苦手な算数をがんばりましょう。
それでも、盲目的に絵を描き続けた。そういう性格なのだろうと思う。だいたい、周りが見えていない。人の気持ちなどおかまいなしである。
しかしそれが、そういう盲目的なある種のパワーが、もしかすると今につながっているのかもしれない。
それにしても、と思う。どんな形であれ褒められれば有頂天になりうれしかったいつかのぼくは、いまでは今日の画像のような絵をいくら褒められたところで、たいして喜べはしない。無意味だとすら思ってしまう。
なんていうか、いろいろ知ってしまったからだろう。わかってしまったからだろう。たぶん、それくらいには大人になってしまったのだろう。
すこしだけ、さびしいような気がしないでもない。けれど、これでいいのかもしれない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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