どこかの海に沈みゆく話

最終更新: 2015/07/03

昨日は17時から英会話。しかし、深酒した明くる日のぼくの特殊体質から、夕方あたりから二日酔いになる現象が発生した。起き掛けにインフルエンザを患っているらしい甥とかけっこや肩車をしたり焼き飯を作ってあげたりしたにも関わらず。

電車に揺られながら吐きそうであった。便意もかなりのものであった。それらを押して忍の一字で教室に入ると先生が言う。How do you do? 果たしてぼくは、I'm fineと、嘘をついた。

I'm sick. または、 I'm going to be sick. =吐きそうだ、 もしくは I really need to use the restroom.=漏れそうだ、そう答えてあげたかったが、残念ながらそんな高度な言い回しを知らなかったので、というか I'm fine しか知らなかったので、そうとしか答えられなかったのである。

ぼくが海外で死ぬとしたら、やっぱりI'm fineと言ってしまうのだろう。いや、いついかなる時でもぼくはI'm fine、I'm fine、I'm fine!の人であり、周囲の外国人には oh! japanese samurai is great! ということにもなるのかもしれない。もしくは単なるfool(ばか者)とか。

とにかくは体調不良だったで、英会話から帰ると21時前には床についた。

夢を見た。ぼくは兵士であった。今から潜水艦に乗るのか、波止場のようなところだった。周りにも数十人の兵士が居て、ぼくはどうやらその中の一兵卒であった。

どこかへの出撃の合図が下った。それはイコールで死を意味している命令で、その瞬間、ぼくは自動小銃を抱えて海に飛び込んだ。そして、自分に向けて銃を放った。派手に火花が散って、がぼがぼがぼと、そのまま沈んでいった。

だからどうしたという夢なのだが、あまりよくは眠ることができなかった。一時間か二時間おきに、妙な身体の鈍重さとともに目が覚めた。そのたびに、枕元に置いてある麦茶を飲んだ。

そしてまた、眠った。

最後に目覚めたときも、麦茶を飲んだ。すると、お茶っ葉のカスが口の中に入ってきて、ぼくは思わず飲み込みかけた麦茶を、ぶえと、コップに、吐き出した。

それでも、一応は口の中が潤ったので、安心して眠った。

これまただからどうしたという話なのだが、それはとてつもなく日常っぽくて、ああ、この日常という空虚、なんて。別に映画みたいな生き方を望んでいるわけもないが、日常というやつは、だいたいはニュートラルだが、ときに悲しく、ときに楽しい。しかし、ときに死ぬほど悲しい。

悲しかったら泣けばいいのだが、泣いたってやっぱり悲しいし、悲しさに出口も行き先も無くて、しかもここは実家で人目があって、大のおとなが泣くのはためらわれる。かと言ってトイレや、お風呂や、一人ひっそりと枕を濡らすほどにはけなげでもなくて、涙は出なくとも、ああ、悲しいと思う。

そんなどうでもいい日常の夜明け、布団を頭まですっぽりとかぶって、くるまって、iPhoneをいじってぼうっとしていると、震災時の写真を目にした。

震災に対してほぼ無感情、無感想、無関心だったぼくなのであるが、なぜだかこの時、馬鹿馬鹿しいほどにいまさらながら、ぼくの胸になにか響くものがあった。

人間って、しぶといよなと思う。あんなふうになってまで、まだどうにかしようとして、どうにかなると思って立ち上がるれるのだ。

人類滅亡とか、そういう話は山ほどあるが、人類というのはきっと完全なゼロにならない限り、滅亡はしないんだろうなと思う。

がんばろう日本なんてわざわざ言わなくても、勝手にがんばるのが人間なんだろう。日本人どうこうの前に、人間の、ホモ・サピエンスの話。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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