原爆はいけん。戦争は絶対にしちゃいけん。
2017/08/22
昨日から広島弁が頭から抜けんけえ、今日も広島弁で書くけえね。どうか堪忍してつかあさい。
さくばんは学校終わって家へいんでから、一人で映画見ながらちびちび晩酌しとったんよ。ほいじゃったらふと樋口からメールがきたんよ。ブログうけた、ほんとに飯吹いた、いうて。
まあ昨日のブログはわし自身傑作じゃあ思うとるけえ、無理もなかろうて。まあそういう流れで、辛気なならちょっと飲もうかあいうて、我がんとこへきたんよの。ほいでから結局3時ぐらいまで飲みよったかのう。ほんま、よう話すことがあるこっちゃで。しかしわしゃあ3時起きじゃけえの、都合24時間起きとったことになるけえ、もう最後のほうは眠とうて眠とうていけんかったわ。じゃがまあ、友達がおるいうんは、ありがたいこっちゃ。
ところで昨日の本じゃが、読み終わったで。じゃけえ、読書の記録と感想ブログにもろもろアップしといたけえ読みんさい、いや、読まんといけん。
http://t-shintaku-books.blogspot.jp/2012/09/blog-post_22.html
なんじゃあ、今日もまた話が長うなりそうなが、大事な話じゃけえ、ちょっと付き合ってつかあさい。
わしゃあね、毎年八月六日に思うとったことがあったんよ。
それはなんじゃあいうて、平和祈念式典に総理大臣が広島に来ることよ。ほかのひとはどがあに思っとるか知らんが、わしゃあなんか漠然と、わざわざ広島までよう来てじゃのう、思うとったんよ。原爆いうてものう、そがあにまですることかのう、いうて。
じゃが、大江健三郎のヒロシマ・ノート「感想→http://t-shintaku-books.blogspot.jp/2012/08/57.html」やら、この本やら読んでから、そりゃあ総理大臣が来るのは当たり前じゃあ思うようになったんよ。原爆落とされたいうんが、どがあに大ごとなことかいうんが、ようやく身にしみてわかったんよ。広島に生まれ育ったくせにのう、まったくにぶい男じゃろう。
それに、ひょっとしたら生まれて初めて人の気持ちがどがあなかいうんを、ちゃんと想像して、ほいで我がことのように思えたような気がするんじゃ。
わしゃあ無神経じゃけえのう、人の気持ちなんかにそがあに興味がないんよ。言ってみりゃあ人がどがあな気持ちでおろうが知ったこちゃあないし、まず考えんのんよ。なんちゅうても我がが一番じゃけえ、ほんま神様みたいなもんじゃけえね、当たり前いやあ当たり前よの。
じゃが、原爆におうたそのときの人の気持ちやら状況やらをできるかぎり細部まで想像して想像して想像するとの、ちょっと愕然とするぐらい戦慄するんよ。ほんまに、ほんまに原爆いうんは大ごとじゃったんじゃのうて、心から思うんよ。
原爆が落ちたその一瞬で、10万人以上の人が死んだんじゃろう。
はだしのゲンが有名じゃが、あんな世界じゃ生ぬるいんで。ほんまは。一瞬で蒸発して影になった人もおる。全身大やけどしてから、手の皮がずるむけて、爪の先で止まっとるもんもおる。ほいでから、しようがないけえ、手を前に出して幽霊のようにして歩いとる。水をくれえ水をくれえいうて。
そのことは、たぶんよけえの人が知ってくれとる思う。じゃがね、それを我がことのようには思えんのんよ。人は想像力が貧しいけえ、なかなか我がことのようには思えんのんよ。それにね、なんでか知らんが、あのころの人たちと今のわしらとが、どうもほんまに同じ人間で、同じような性根を持っとるとは、どうにも思えんのんよ。なんでかねえ、どうも遠い、特殊な人たちのようにしか感じられんのんよ。わしらと同じように、親兄弟親類、知人友人を愛したり、笑ったり泣いたりしよった、いうんが、どうも想像できんのんよ。
じゃが考えてもみんさい。想像してみんさい。今朝いってくる言うて出ていったお父さんが、夜になって、顔はパンパンにはれ上がって、手の皮はずるむけて、やねこい、やねこい、水をくれ、水をくれ、言いながら帰ってくる。
ほんま、男でも女でも、ようけの人は気絶するんじゃなかろうか、思うで。じゃけど、あのころの人いうんは強かったんかのう、すぐに戸板をはずして担架の代わりにして寝かせて、家まで連れて帰った、いうじゃろう。ほいでから、たいした薬もないけえ天花粉でも塗る程度でよ、唇湿らしてやる程度でよ、生きにゃあいけん、がんばれいうてから、はげまして、はげまして、はげまして、じゃが死んでしまうんよ。ほいで自分らで火にくべるんよの。どがあな気持ちじゃったかいのう、思うで。
一瞬にして家族全員が無うなったものもおるじゃろう。長いこと一緒に暮らしてきたあの人の、声や、肌や、息が、一瞬にして無うなってしもうた。
まともな神経なら、何をあの人がそがあに悪いことしたか思うじゃろう。ほんまどうしてくれようかあいう怒りもわいてくるじゃろう。
そがあなもん、気が触れるのが当たり前じゃなかろうか。
そういう悲しみが、10万以上あったんで。
ビートたけしがの、先の東日本大震災で、こがあなことを言うとる。
【悲しみは本来、すごく個人的なこと。今回の震災は、2万人が死んだ一つの事件ではなく、1人が死んだ事件が2万件あったということ。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人達がいて、その悲しみに今も耐えている。】
ほんまじゃあ思うで。それがほんまじゃ。
わしゃあもう、幽霊なんかは信じられんで。なんでかあゆうて、原爆、あがあなひどいことがあってから、無念の10万もの人の死があったわけじゃろう。
成仏できんもんが幽霊になってさまようんなら、その思いが強けりゃ強いほどこの世をさまよい歩くんじゃとしたらのう、広島の街じゅうに、朝昼晩、そこら中に幽霊がおってんないと嘘じゃと、わしゃあ思うでよ。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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