コロンブスの銀歯

  2015/07/03

先日書いた銀歯が取れた件についてだが、ようやくで先週の土曜日に完治とあいなった。

めでたしめでたし、新しい銀歯よ、また十年くらいよろしくと思っていたら、違和感がある。

ものを食べるとなお違和感がある。どうやら銀歯の高さがすこしばかり高いらしいのだ。

始めだけで、慣れてくるかとも思いもぐもぐやっていたが、どうにも違和感があり不快である。ごはんが全然おいしくない。老人の訴える入れ歯の悩みの切実さが身に染みる。と同時に、ポリグリップSのCMは、入れ歯に悩める老人にとってそれはそれは心憎い内容であるのだと思った。

それに加えて痛みも出てくる始末である。歯が一本だけ高いせいで、そこにだけ負担がかかるのは馬鹿でもわかる物理学であろう。もちろん、物理や科学とは絶縁のぼくでもわかる初歩的な物理学である。いや、本当はそもそもこれが物理学なのかどうかはわからない。がしかし、ぼくにとっての物理学とはそういうものだということになっている。

そういうわけで、物理学を駆使して歯科医へと電話をかけ、物理学を駆使して学校を休み、物理学を駆使して歯医者へ行った、昨日の夜19時。

なんだか疲れていて、歯科医の待合室で、ぼくは仏頂面で目を閉じていた。

呼び出し音が鳴り始めた。病院へ電話がかかってきたのである。受付のおばちゃんが電話を取った。

患者からで、明日は雨が降るらしいから予約は別の日にしたいとかいう話らしかった。そして、どうやらその患者は友人か知人にこの歯科医をお薦めして紹介したらしかった。

「ええ、ほんとうにうれしい、うれしいです。ご紹介くださって、ええ、すいません。ええ、ええ、ほんとうに。すいません。ええ、なるほど、すいませんです。そうですねえ、申し訳ない。すいませんです。すいませんでした。ああ、すいませんです。はい、ほんとう申し訳ないです。すいません。すいませんです。ええ、ほんとうにすいません。はい、わかりました。ほんとうにすいませんでした。失礼します。ほんとうにすいませんでした」

そもそもこのおばちゃんは腰の低さにかけては東洋一、もしくは世界で五本の指には入るだろうと思われるのだが、これにはやられてしまった。なんといってもお礼を言っているにも関わらず謝ってしかいないのである。ぼんやり聞いていたのだが、クレーム対応なの!?と、ぼくの笑いのつぼに思いきり突き刺さってしまった。う、う、う、ふ、う、ふ、と懸命に我慢していたのだが、こらえきれず、ぐふっ、ぐひっ、と吹きだしてしまった。ぼくはとっさにトイレ貸してくださいと言って駆け込んだ。それからトイレでうふっ、うひっ、ひひひひひひと笑いの続きを吐き出させていただいたことは言うまでもない。

そんなこんなで治療は始まった。今日は一時間くらいはかかるだろうと思っていた。なぜならセメントで固められた銀歯を外して、裏を削って、高さを調整して、またセメントで固める、という作業があると思ったからだ。

しかし実際は10分足らずで終了であった。せっかく固めた銀歯を外すなんてことはせず、銀歯の上部を削って調整したからである。

当たり前だといえば当たり前のことではある。キュイーンと削られながら、そりゃあそうだよなあと、ぼくはつくづく感じ入った。

そしてぼくは、ほとほと自分の思い込みの激しさと偏狭さを思い知った。三つ子の魂百までとは言うが、この発想の偏り、視野の狭さ、ひとつの考えに囚われると他の考えが一切見えなくなるというこの性質は、ほんとう子供の時分より脈々と続く天性のものなのだろう。

まあ、だからこそ自分は素晴らしい人間なのだと、異様なほど強烈に思い込めているのではあるだろうけれども。

とりあえずぼくは、コロンブスが卵を割って立てれば、激怒するか、膝をついて唖然とするに違いない。しかし、そうだとしても頑として自分が好き。

思い込みの激しさこそが、ぼくの人生の一切の舵を切っている気がする。

きょうのしごと:2時半起き絵の制作2ゲーム+惰眠2時間

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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