子供と若者と中年の境界線をまたいで
最終更新: 2017/08/22
もはや普通の若者になってしまった。
毎日イヤホンをつけてしまっている自分。歩く時もイヤホン、電車に乗ってもイヤホン、とにかく外に出ればイヤホン。
ぼくの嫌いな馬鹿っぽい若者になってしまった。
でもイヤホンの快感が、ぼくの中の典型的な若者像への嫌悪よりも大きいらしく、結果ぼくの耳にはイヤホンや突き刺さりっぱなし、って、突き刺さりっぱなしって表現、なんかお昼から卑猥でごめん、というか、そんなことを連想するぼく自身がとっても卑猥でごめん。はぁはぁはぁ……ハァハァハァ……。あぁっ?って逆切れしてみたお。
さらにどうでもいいけど、この「〜お」って表現、なんかよくわからないけど、妙に萌えるんですけど。だれか、すごくぶりっ子なかわいい子に生で言われたい。いや、贅沢は言わないからメールでもいい。「今日の夜は肉じゃがだお」「早く帰ってきてお」「もう寝るお」「ていうかスネ夫?」とか、とにかく言われたい。そんな言葉を浴びせられた日には、鼻の下でボーリングして温泉を噴き出させることも決して夢ではない、だろう。
また例によって話が脱線したが、ぼくはもはや若者とは呼べないことをひしひしと感じたりしている。そうだ、もう大人も大人も大人なのだ、中年なのだと、ガクガクと思う。
というのも今朝(ちなみに今日も4時に起きて6時30には電車に飛び乗ったお。とある人から真夜中に電話がかかってきて睡眠妨害されたけど)、ぼくの好きなジャンルであるハウスミュージックを聞いていると、歌う人が「〜OK!」って言ってて、思わず「ケッ、何がOKだよ」って思ってしまったのである。この反射はもはや中年以外の何ものでもないだろう。
まったく、光陰矢のごとし。自分自身が歳を取ったなあと思うということは、親もまたそれだけ歳を取っているわけで。いろんなことが終わりに近づくよなあと、いや当たり前なんだけど、どうも始まりよりも終わりを強く意識してしまう。
でも、なんか、ここ最近になって、ようやく何か前に進めそうな気がしている。月並みな表現をすれば、新しい自分に出会えそうだ、と。もっと、もっと、もっと、楽しいことがあるはずだし、素敵なこともあるはずだし、実際に、その通りなのだと思う、思える。
よく言うように、人生に無駄なことはないんだろう。というか、人生は完全な一方通行だから、そう思うしかないんだろう。でも、それでも、生きている限り、きっと無駄なことなんてないんだろう。
泣くのも結構。わめくのも結構。後悔するのだっておおいに結構。でも、もう十分で、もうそろそろいいだろうと思うのだ。
これもまた月並みだけど、今日よりも明日、明日よりも明後日、一年、二年、三年、もっと、十年後には、もっともっと、いい人生を送れてるんじゃないかと、漠然と、しかし妙な確信をもって、そう思う。

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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