脳みそとこころと確率の話

  2017/08/22

古代人は、心は胸にあると考えた。すなわち心臓である。しかし現代では、それは脳にあるということは、小さな子供でも知っている。

と、このように切り出してはみたものの、別に脳みそについてもこころについても語る気分ではない。なんとなく書いてみた、だけ。

今朝(と、今日の記事は途中で止まっていたので昨日)、「使える!確率的思考 (ちくま新書)小島寛之」という本を読み終わった。確率について知りたくて、というか、人生はつまるところ確率でしかないのではないかと、ある日ふと思って、Amazonで適当に検索して買った本である。

一例を上げれば、大当たりが何度も出ていると評判の宝くじ売り場というのがある。「一億円出ました!」などと看板を掲げている売り場に列を成している光景を、誰しも目にしたことがあるだろう。並ぶ人の気持ちとしては「当たりやすい売り場で買いたい」ということに違いない。しかし、そんな売り場は存在しない。

たとえば、宝くじ全体の発行数が100だとして、1億円の当選確率が1だとする。それは、どこの売り場で買っても当選確率が1でしかないということだ。もしも世間で言う”当たりやすい売り場”というものがあるとしたら、そこは単に”販売数”が多いだけである。100のうち70を販売した売り場と、30を販売した売り場、どちらから1億円が出る確率が高いだろうか。言うまでもなく100分の70の方である。

つまり、当たりやすい売り場の正体は、「たまたま一億円が出る」→「評判になる」→「評判が評判を呼んで販売数が伸びる」→「1億円の出る確率が上がる」ということでしかないのである。当り前と言えば当たり前の話だが、確率の妙を感じられる挿話ではないだろうか。

話は少し逸れるが、確率といえば、父の口癖を思い出す。父は車を運転するとき、一時停止や信号を必ず守る。左右を念入りに確認する。それはもう、馬鹿正直というか単なる馬鹿に見えるほどに。たまに母や姉が運転する車の助手席に座ると、スピードを落とせとか一時停止をしろと口やかましい。うるさいとか大丈夫じゃけえなどと言い返されながら、父はしつこく言い続けるのである。「確率の問題じゃけえ」と。100回大丈夫だったとしても、1000回大丈夫だったとしても、確率の問題じゃけえ、いつか事故するんじゃけえ、と。

そんな言葉を飽きるほど耳にして育ってきたせいか、折に触れては、確率の問題なんだよなあと、さまざま思う。

閑話休題。

しかし、既述したようないかにも確率らしい確率の話よりも、本書のほとんど末尾あたりに出てくる下記の引用に、すべて持っていかれてしまっていると、ぼくは思う。以下、本書より村上春樹の「パン屋再襲撃」という本からの引用文を転載。

”たぶんそれは正しいとか正しくないとかいう基準では推し量ることのできない問題だったのだろう。つまり世の中には正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということだ。”

さすがノーベル文学賞候補(いい加減受賞していいと思う。とか言いつつ、彼の著書を一冊も読んだことがない)なだけはある。人間界というか、人生とは、まさにそういうものであろう。

そもそも、何が正しくて何が間違っているのかすら、不透明も甚だしいのがこの世である。確率を知ればもっと生きやすくなるとか賢く生きれるとか、それこそ馬鹿みたいな浅薄さで本書を手にした自分が情けない(とはいえ、情けなかろうがなんだろうが我が偉大なる自己愛が揺らぐものではないが)。

やっぱりまあ、人生は万事塞翁が馬なんだって、小学生の時分から知ってることわざに行きついて、なるようにしかならないのがこの人生かと、あきらめる。いや、いい意味で。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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