何かしらを目指している

最終更新: 2017/08/22

最近、ここ2週間くらいは、おおむね真面目に過ごせている、と思う。

ぼくの言う真面目というのは、絵を描くことであり、本を読むことであり、ランニングをすることである。もう一つ付け加えるならば、翌日立ち上がれないほど深酒をしない、ということ。

自分がやるべきだと思っていることを、自分の思い通りに実行できると、とても気分がいい。達成感というやつである。これは、自分がやるべきだと信じていることでなければ得られないものだと思う。

その証拠に、願わくば放り出したいが、お金のために仕方なくやっている日々の賃労働には、達成感というものは無い。あるのは単なる疲労である。

しかし、疲労はビールを始めとする酒を旨くしてくれる。逆に、疲労が無いと酒が旨くない。もっと、二日酔いで一日中寝ていたような夜に飲む酒のまずさと言ったらない。

それはともかく、8時間の賃労働のあとと、8時間の絵の制作のあとのビールと、どちらが”旨い”かというと、正直、同じだと思う。

もちろん、気分は違う。しかし、旨さ、または快楽は同じである。あるいは、賃労働の方が職場の衆人環視のもとで気を張っている分だけ、賃労働帰りの方が旨いかもしれない。

別に酒の話をしたいわけではなかったのだが、乗りかかった舟ということで、酒の話を続けたい。

酒に求めるものはさまざまある。人と一緒にいる時にしか飲まないという人はコミュニケーションの潤滑剤としてであろうし、単に食事の際の”お茶”としてごく少量飲むのが好きだという人もいるだろう。あるいは、独りで沈思黙考するために飲む者もあるだろう。

ぼくはと言えば、酔うためである。もしくは、酔って、まやかしの幸福感を味わうためである。

おもしろくもなんともない一日が終わる。激しく疲労しているというわけではないが、自分にとって価値を見い出しにくい賃労働によるぼんやりとした疲れによって、身体も気分もただただかったるい。お腹が空いているような、いないような、何か食べたいような、食べたくないような。

デスクワークは、たぶん、人間にとって不自然な労働形態なのだと思う。人類の歴史は、言ってみれば肉体労働の歴史である。デスクワークなんていうものが成立したのは、せいぜいがここ2、300年くらいの話だろう。

だから、いわゆる土方などには、たぶん、もっと健全な疲労があるのだろうとは思う。思うが、そのような土と埃と紫外線にまみれた仕事はしたくないので、おそらくは、ぼくは一生何らかのデスクワークをして生きていくのだろう。

いや、願わくば画家を生業としたい。一般人は画家を文系だと言ってはばからないが、画家は肉体労働なのである。10号(53cm位 )や20号(73cm位 )の作品を描くだけならいざ知らず、100号越(162cm位 )ともなると、どう考えたって健康な肉体なくして描けるものではない。

関根正二だったか、肺炎に侵されせき込みながらで、妻か母かに腕を支えられながら絵筆を運んだというが、それはせいぜいが30号(91cm位)くらいの話であって、200号(260cm位)ともなれば、もはやそんなお涙頂戴的な茶番でねじ伏せられるレベルではない。

というわけで、ぼくは、酒は徹底的に飲むが、食に気を遣いランニングに励み、つまるところ健康体を維持し、元気に画家としてやっていきたい。いくら元気でも、元気に賃労働をする気はない。現実的にはやってはいるけれども、願わくば、の話である。が、しかし、真剣に願ってはいる。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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