やらない善よりやる偽善。

  2017/08/22

唐突に本題に入るけど、人間の本質ってのは、いったんなんなんだろうか。日常会話でも、よく「ほんとうの私は……」みたいな表現をするけれど、ほんとうとはなんだろうか。
また、「頭が真っ白になって……」とか、何か犯罪を犯したときの供述とかで、よく言われるが、最近、ようやくで頭が真っ白になる、っていう感覚を知る、知った。
ぼくは人間であった、当たり前だけど。
なんだろう。自分はとても理性的な人間で、自分で自分をコントロールをするのが上手なほうだと思っていたのだが、自分は全然そんなわけもなく、しっかりと常にこの世から、この世のルールからはみ出る可能性を持った月並みな意味での危険な存在なのだと思った。
断片すぎる書き方で申し訳ないのだが、ぼくは子供のころから"やさしいねやさしいね"と言われて育ってきた。それで、ぼく自身はなんの疑いもなく"ぼくはやさしい人間なのだ"と思っていた、というか、思い込んでいた。
でも、その思い込みは大学に入ってから、それはまったくの勘違いだと知った。やさしさとは、細切れではないと思う。ほんとうの、って、ほんとうとは何かって問題提起してるのにほんとうはって使っちゃうけど、ほんとうのやさしさとは連続であり継続であると、そう思う。
どんな凶悪な犯罪者でも、思いつきで、気分で、ちょっとしたやさしさを見せることぐらいある。さっきだれかの首を絞め潰してきた手で、ときに盲人の手を引いたり、老人に席を譲ったりすることもあるだろう。でも、それはやさしさとは呼べないものだと思う。
物質にしても行為にしてもそうだが、純粋に100%というのは、とてつもなく難しいことなのだ、というか、100%というものは存在しない。いや、死ぬのは100%だけど、それは物質でも行為でもなく現象である。というのはさておき、金の延べ棒いわゆるゴールドバーとかだって、純度99.999%とか、そういう水準で止まっているわけで。
だからなんなんだ、って感じだし、ここまで書いて自分でもだからなんなんだって思ってるんだけど、人間と人間は、どこまでも分かり合えないよね、って。そう思う。
知ってほしい、そして分かってほしい、と言ってもそれはやっぱり無理な話で。ぼくにしろ、これだけ日々自分のことを、思ったことや出来事の他愛もないたくさんのことをあけすけにざっくばらんに書いたって、結局はそれはぼくのごく一部でしかなくて、ぼくという存在はぼくという人間はそれではまったく説明できてもいないわけで、、、、だから、もっと知ってほしい、わかってほしい。
とてつもない矛盾。自分のことを話せば話すほど、わかってもらうためのありとあらゆる行為をすればするほど、まだ伝えきれていない説明できていない部分が、隙間が、やたらと際立って、つまり目立っていく。オセロで圧勝の呈を示すとき、まだひっくり返せていない白が、黒が、ひときわ目立ってしまうように。
って、だらだらだらずらずらずらっと書いて、今日の画像。父がガンになったので、ガン記念日の記念品ですと手紙を添えて、父と母にペアウォッチを送ったのである。ぼくにとっての大枚をはたいたのだが、が、しかし、これはここまでで説明したとおり、優しさではない。思いつきであり、気分である。
ほんとう、ぼくは気分屋だと思う。気分によっては、そのお金でいそいそとヘルスかソープランドなんかに行ってあへあへにやにやして、ぐーすか寝ておしまいってことだって、全然ありえたと思う。でも、"たまたま"そうはしなかった、だけの話。
漠然と、何かしらが妙に恐ろしく、漠然と、胸が詰まるほどの不安を感じる、感じている。何がどうなっているのか、どうなっていくのか、どうすればよいのか、また悪いのか。ほんとうとは、なんだろうか。
それにしても、どうしてこうも親の撮った写真というのは間が抜けているのだろうか。そんなにボロい携帯でもないだろうに、せっかく贈った時計にまったくピントが合っていない。しかしまあ、こういうところに、土着的な、言葉で説明しきれない、する必要もない、愛おしいもやもやっとした、空気、を感じなくはないのだけれど。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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