眠りからの宣戦布告を受け
2017/08/22
春です。どうやら、とか様子をうかがうまでもなく、春です。そしてもうすぐに5月です。
5月と言えばなんでしょうか。そう、5月病ですね。きてます、5月きてます紫外線ももちろん一緒に病もきてます。気も抜けます。春眠暁を覚えません。
早起きを励行していたにもかかわらず、この数日というもの、ぼくはまったくもって朝の眠気に完敗、連敗中です。まったく起きれず寝坊しまくりです。
睡眠時間は変わってないのに、以前にくらべて桁違いに眠いのは、もう春だからというしかない。それか放射能の影響とかあやふやなことのせいにするしかない。もう眠くて眠くてこっくりこっくりこっくり……で、ビクゥッ!っというよくあるあの反射で、バシャァ、水の入ったコップをこぼしてしまう始末です。
でもまあ、最近はそういう"変化"も、前よりもうまく受け止めて、そして少しばかりは楽しめるようになった、気がする。変化っていっても、単に毎日、天気も体調も気分も世の中も違ってる、ということだけど、前はその変化をいまいましく思ったりもした。毎日同じ体調かつ同じ気分であるべきで、そうして自分のしたいことを遅滞なく黙々とまったく順調にこなしていきたい、と。
それというのもぼくの性質として、常に自分の中で「〜すべき」というのがあって、その"べき"が実行できないと、ぼくは自分で自分にがっかりしたりもする、いや、してないや。自分のことをすべて愛してるから。実行できない自分もまたよし。
それはさておき、ぼくの行動原理を司る信条として相当に強力な"べき"というものがあって、それはたとえば「本はたくさん読むべき」「時間は守るべき」「お金の貸し借りはたとえ1円でもちゃんとすべき」とか、これらはまあ、他の人でもすぐに理解できるような事柄だろうけど、それ以外にも、いろいろやたらと"べき!べき!べき!"があって、つまりぼくは"べき"にいわゆる必殺亀甲縛りにされながら生きている、というわけである。
だからと言って、ぼくが服を脱ぐと常に亀甲縛りにされている、というわけではない。精神の問題である。いや、でも肉体的にそういう日もあるかもしれないし決して無いとは言わないが、そんな日はきっと内股気味に違いなく、何か妙に背筋がピンと伸びているに違いない。
まったくもって"べき"にがんじがらめ。そんな束縛をされるのは苦しいのでは? と思われるかもしれないが、苦しさは特にない。それよりも、その"べき"を果たすことによって、自分の思い描く自分の理想像に近づくことのほうがよほど大事、というか快感、とまではいかないが心地良いからである。
ぼくは何か、漠然と、しかし異様に強く思っている。立派な人間になりたい、と。
この立派な人間像がぼくの中では相当にイビツな形をしているのだが、今の自分の日々の過ごし方の先に、いや、今現在も相当の完成度であり、これからも着々とその理想像に近づいていると信じて疑わない。
まあ、立派な人間、なんていう言葉自体幻想もいいとこだから、ぼくの思い描く理想像もまた、音もなく成長してゆく鍾乳洞のように、どろどろと歪みつつ肥大化した幻想に違いないのだろう。でも、この世界でさえも、誰も幻想か現実かという断定はできないわけで、だから、まあ、幻想でも現実でもどっちだっていいのではないか。
何かSFの話であったが、実は自分の意識とかこの世界というのは、どこかの実験室でビーカーの中の水溶液に浮かべられた脳に適当な電気刺激を与えることによって見せられているだけかもしれない。いやもっと、この世界というもの自体、人間よりももっと大きな存在が、片手間でジオラマやフィギュアのように、なんとなく作って、お遊びとして眺めているだけなのかもしれない。
そういう発想は、心と呼ばれるものが心臓ではなく脳にあると結論づけられた今日、妙なリアルさをもって迫ってくる。だってそれを誰も否定できないし、また肯定もできない。つまり、わからない。
心は脳にある。喜怒哀楽のすべてはもちろん、腹が減ったとか眠いとかセックスがしたいとか、そんなすべては脳の中のシナプスの間を飛び交う電気信号だといわれる。
そうなのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。
どちらにしろ、なんにしろ、ぼくらが何者かに実験されているに過ぎないにしろ誰かの玩具に過ぎないにしろ電気信号に過ぎないにしろ、日々、うれしいとか悲しいとか感じてることだけは事実、リアルだと思える。じゃあ、そのリアルを思いっきり吸い込んで味わって生きていけばいいだけではないか、というような発想や気持ちもまた誰かが「こういうふうに思うように電気信号Xを流したらやっぱりこう思ったぞ」というような実験結果なのかもしれないが、そんなことを言い出すときりがない。人生はきりがあるんだからきりがないことは"無い"ことにするに限る。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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