地元に帰らない

  2020/08/25

昨日の日曜日は生涯10度目の引っ越しであった。

ぼくは正午くらいから引っ越し作業をしていたが、すでにほぼ大半は片付いていたので、15時には終わってしまった。

それからすることもなく暇だったので、最後のランニングに出かけた。このコースを走ることは、たぶん一生ないだろうなあと思った。しかし涙っぽい感慨は特に湧いてはこなかった。ただ、多少の汗が流れただけだった。

家に帰ってシャワーを浴びた。しかしシャンプーリンスはすでにダンボールに詰めているので、石鹸だけで洗った。

それが16時ごろ。引越屋は夕方の17時〜19時の間に来ると聞いていた。ぼくの希望的観測として、17時半くらいには来るものと思っていた。しかし、まてど暮らせどやって来ない。とっぷり日は暮れ立派な夜が訪れた。そうして本当にぎりっぎりの18時50分くらいになってやっと来た。

ぼくはその時点でけっこう苛立っていたが、しかしまあ、プロなのでそれなりに手際は良く、40分程度ですべてのものが運び出された。作業中、27、8歳とおぼしき作業員のリーダー的な男性が、「絵がいっぱいあるけえ気をつけろよ!」と、いかにもな広島弁で声をかけていたのが印象的だった。

そして完了。ほこりっぽい空っぽの部屋にひとり取り残される。しかし、思い出があれこれ思い返されるというようなことはなく、「あっそ」という感じであった。

それはたぶん、この部屋に対する愛が無いからだと思う。というか、そもそも広島に対する愛が微塵も無いからだと思う。

愛なきところにさびしさもわびしさもあろうはずがない。たいして好きでもない人と別れたってなんの感情も湧き起こってこないのと一緒である。愛の反対は憎悪ではなく無関心なのである。以下、そんな折に読んだ記事へと接続したい。

以下引用。

【憂楽帳:ふるさと】

 「地元に帰ろう」。先月終了したNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で、繰り返し歌われたフレーズだ。主人公の女の子は東京から地元に戻り、「結局ここが一番良い」と親友に強調する。

 「でも、若い人が戻っても就職先がほとんどない」。岡山県北部の津山市で尋ねてみると、そんな答えが多く返ってきた。過疎が進むその町を訪れたのは、男女共同参画のイベントで「30代の生きづらさについて講演してほしい」との依頼を受けたから。私自身も同県出身だけに、複雑な思いで問いかけてみたのだ。

 一方、「地方都市は、ほどほどパラダイス」とは阿部真大(まさひろ)・甲南大准教授(社会学)。今夏出版した「地方にこもる若者たち」で、岡山の20?30代対象の調査をもとに、地元の巨大ショッピングモールで充足する若者の姿を分析。モールは今や都会も田舎も大差なく、大した収入はなくとも、実家に同居しながら、身の丈にあった幸せに浸る、と指摘する。

 都会か地元か、価値観は人それぞれで難しい。ただ、「ここが好き」と胸を張れる社会であってほしい。帰路、バスの車窓を眺めた。【大道寺峰子】

(毎日新聞 2013年10月17日 大阪夕刊)

http://mainichi.jp/opinion/news/20131017ddf041070030000c.html

引用終わり。

「あまちゃん」とかいうドラマを見たことはないが、なるほど「地元に帰ろう」というフレーズは響く人には響くだろうと思う。

しかしたぶん、ここでいう「地元」は、ほとんど「ユートピア」と同義ではないだろうか。

「地元に帰ろう」というフレーズには、いまここに居る理由や意義を見出せないストレスが、単純なアクションでいっぺんに解消できるような錯覚を与えてくれる。

ほんとうはどこに行ったってどこに居たって自分という存在は変わらないし、自分の思考スタイルから逃れることはできない。もしも根本的に変わろうとするなら、相当に継続的な何らかの努力や行動が必須である。

しかしそんな努力や行動は面倒くさいし、気が遠くなる。そもそも、何をどうしたらいいのか、方向性すらわからない。

そこへきて、「地元に帰ろう」。それでわかりやすく人生を変えられるなら、そんな楽なことはないだろう。

それはピースボートの地球一周の船旅にも似ている。あの広告に載っている著名人のコメントは、どうにもうさんくささがつきまとう。

要約すれば、「世界を周って人生を変えましょう!」ということである。100万ちょっと払って乗船すれば人生が変わる。そんな夢のような話はないが、しかし、そんなことで簡単に変わってしまうおまえの人格はいったい何製なんだとつっこみたくなってしまう。プラスチック製かゴム製かと。

変化するって、自分を変えるって、もっと地味で、地道で、水滴が石をうがつような途方もなく遅々としたものだと、ぼくは思う。

「地元に帰ろう」というフレーズに感銘を受けたりして地元に帰るのは人の勝手だが、あなたの今そこに無いものは、どこに行ったって無いと思う。使い古された言葉だが、すべては心ひとつなんでしょう。って、地元に帰ったぼくが言うのもあれだが、まー、あれだ。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

ご支援のお願い

もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。

Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com

Amazonほしい物リストで支援する

PayPalで支援する(手数料の関係で300円~)

     

ブログ一覧

  • ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」

    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

  • 英語日記ブログ「Really Diary」

    2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。

  • 音声ブログ「まだ、死んでない。」

    2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。

  • 読書記録

    2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。

  関連記事

食器に狂っている

2010/06/19   エッセイ

土曜日。またしても食器を買ってしまった。 画像最手前のグラスである。その奥のグラ ...

時代は変わってどうなった?どうなった?

2012/12/11   エッセイ, 日常

きょうのタイトルはナンバーガールの歌のメロディーで読んでほしい。わかる人にはわか ...

ヒモが出ていればたぐるまで

2008/10/10   エッセイ

雨の土曜日、家を出ると途端に死の匂いを感じた。黒服に身を包んだ葬式らしき一行が色 ...

いつかの父と今のぼく

昔のことをよく思い出す。しかし、今までの「子供の頃はよかった」的なピーターパン症 ...

九州産業大学の人=三流

2009/04/24   エッセイ

東京に来て二度目。同じ大学出身の人に出会ってしまった。 で、またしてもぐんとテン ...

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2024 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.