みんなのうんこ
2015/07/03
国立市に移り住んで気づいたことがある。
それは朝、自宅の前の通りを清掃している人がやたらと多いということだ。
世田谷区の成城でも、川崎市の登戸でも、福岡でも、広島でも、その実家の周りでも、これほどまでには見たことがない。
そういうわけで、このあたりの人々は自分の街を大事にしているんだということを強く感じる。
だって、庭先ならばともかく、自宅前の通り、つまり公衆である。いくら自宅の前とはいえ、自分のものではないのである。ほとんどあらゆることが「関係ない」で済んでしまうこの荒んだ世の中で、わざわざ公衆の通りを掃除するなどという美しき心は、もはや小学生の書道の時間か、バカボンかサザエさんあたりのマンガの世界にしか存在しないのではなかろうか。
それはさすがに大げさにしろ、エゴイズムの塊のぼくとしては、美しき心、そして美しき街には最大の敬意を払いたいと思う。
そんな街角で、ある朝、うんこが落ちていた。
かなり太めの、黒ずんだうんこである。こういう色のうんこは、赤ワインをしたたか飲んだ次の日に見たことがある。赤ワインはうんこを赤ではなく黒いうんこにするのである。とはいえ、さすがに人糞ではあるまい。
では犬畜生がワインをたしなんだか? なんていうくだらない冗談はさておき、美しき街に、あまりにも奔放な形状をしたうんこは、ちょっと見過ごせない存在感を放っていた。
しかしまあ、この美しき街である。夜までには誰かが掃除しているだろうと思った。誰かは知らないが、とにかくは誰かしらが。
さて、仕事からの帰り道、つまりその夜、ぼくはうんこと再会することになった。朝方よりも若干乾燥はしていたものの、微動だにせず、しっかりそのまま放置されていた。うんこだなあと、ぼくは思った。いろんな意味で。
翌朝、うんこはまだあった。ぼくはそのうんこの頑迷さを讃えようと、ちょっと適当に詩を作ってあげた。I Love You. I Want You. 君に会いたい、so うんこのある街角で。
その夜、文の流れから察せられる通り、もちろんうんこはあった。この街は偽善者の集まりではないかとも思われた。
いや、というより、あまりにも場所が悪かったのだ。そこは民家などではなく、うらぶれた配送センターの裏口の前あたりであったのだ。配送センターの誰かが片づけるべきなのかもしれないが、いかんせん裏口なのである。正面ならばまだしも、裏口となると、うちの担当?かな? どうかな?まあいっか。という他人ごと感は免れないだろう。
翌朝、つまり今朝だが、もちろんうんこはまだあった。しかし、かつての威光というか、インパクトはすっかり失われていた。もはやうんこは街角になじみ、あるいはお地蔵さん程度の風景として消化されているような風であった。
きっと今夜もあるだろう。たぶん明日もあるだろう。しかしそう遠くない未来、ふっと消えている。それだけは確かだ。しかしその時、うんこが無い風景に、そこはかとない違和感を覚えてしまうことだろう。今は亡きうんこ。あのうんこはいずこへ。
それはともかく、犬のうんこは飼い主の責任である。ごもっともである。しかしもう今では、みんなのうんこで、みんなの責任になっているのである。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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