ちょっと一杯で終わらない旅

最終更新: 2016/04/08

ちょっとした仕事が入り、ほんのわずかながら小金が入った。

ほくほくほく。お金は心を温かくする。

さっそく飲みに行きたい、とは思ったが、節制。なんとかその欲望を抑えてダイエーに向かった。

とはいえやはり抑えがたくわき起こる居酒屋に行きたいという欲望と葛藤しながら、店内を巡った。そうして、半額になっていた野菜コロッケを三つ、小松菜、もやし、1.8リットルの紙パックの焼酎ボトルを買い物かごに投じた。

お会計を済ませて外に出た。節制心を萎えさせるような、木枯らしが吹きつけた。

店の前を、ちょっと、ちらっと、見てみよう。よくわからない言い訳でもって、足はひとりでに居酒屋の方向に向かっていた。

月曜日、まだ二回しか行ったことはないが行きつけとなる予定である居酒屋「喜楽」は閉まっていた。前から気になっていた炭火焼「三喜」も閉まっていた。もひとつおまけに行きつけの炭火焼「さすらい人」も閉まっていた。

ようやくでひとつ開いていたのは、看板も出ていないような狭小きわまりない居酒屋であった。

いや、でも、しかしと、家に帰ろうかと思ったのもつかの間、吸い込まれるように、ごく自然に引き戸を開けていた。

外観通り、店内はカウンターのみで、8人も入ればぱんぱんになるほど狭かった。バイトとおぼしき若い女性が厨房に立っており、ぼくはとりあえず瓶ビールを頼んだ。

するとカウンターの最奥の席に座っていたかなり太った男性から、あいにく瓶ビールは置いていないと言われた。どうやらこの太めがお店のマスターであるらしかった。ウーロンハイか何かをかたむけつつ、タバコをふかしていた。

この豚ァまじめに仕事せんかいボケェと思いつつ、じゃあ生ビールでと伝えた。

ビールが出てくるまでの間にメニューを見やった。餃子の種類が多かったが、積極的に餃子を売りにしているというわけでもなさそうだった。かといって他のメニューも枝豆や湯豆腐程度の顔ぶれでこれといった特徴はなく、要するに「ふつうの居酒屋です、以上」という感じであった。

ビールが出てくると、ぼくはとりあえず餃子を注文した。

ジョージ・オーウェルの「1984」を読みながら、餃子とビールを進めた。別におもしろくもなんともない本なので、目を落としているだけと言っても過言ではなかった。

それを察したのか、しばらくして、太めマスターが話しかけてきた。「お客さん、初めてだよね?」

はい、そうですと答えたところから、自然と枝葉が伸びた。とはいえ、知的でも創造的でもなんでもない、ありふれたやり取りである。、広島出身だと言うと、広島は出張で50回くらい行ってるよとかなんとか。そういう類の話だ。

途中、マスターよりもさらに太めの男性客が入ってきた。やけにポマードか何かの、おっさんらしい臭いを漂わせていた。が、酔いも加わって、そりゃまあおっさんだからなと、至極単純に納得できた。

マスターは太めの親分のような男性に、ぼくを広島出身なんだってと紹介した。

へえ、と受け流すと、太めの親分は続けた。「さっきまでふうちゃん(居酒屋名)で飲んでたんだけど、よく作業着で来てたおっさんが死んだって話聞いちゃってさ。アパートで死んでたんだって。もう、サーッて冷めちゃって、それで場所移したってわけ」

ぼくは思わず噴き出してしまった。だって、まるで男はつらいよの世界観を地でゆくようなセリフではないか。

まったく、その店には瓶ビールもないし、ボトルも無い。料理もたいしてうまくもない。しかし、それでも、結局は楽しい時間を過ごしてしまう。

どんなにしょうもない居酒屋でも、ぼくにとって居酒屋はどうにも特別な場所なのであった。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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