次はァ原爆ドーム前ェ、原爆ドーム前ェ
2017/08/22
Next stop is Atomic Bomb Dome
昨日もツイッターでつぶやいたが、めちゃくちゃ違和感がある。広島の路面電車(広電という交通機関であります)の車内アナウンス。
なにが違和感って、ぼくが単にものめずらしいからというだけではないと思う。おそらくは核に対して世界一敏感な都市(実際はともかく、少なくとも"敏感でなければならない"。それはつまり、親ならば子供に関心があるのが当たり前だというような脅迫的・強制的な期待である)であるにもかかわらず、いかにも単なるひとつの場所に過ぎないという、周囲の人々の平然さである。
当たり前と言えば当たり前なのだが、原爆ドーム前に差し掛かる時、停車した時、通過した時、誰も黙祷などしない。厳粛な空気が漂うわけでもない。日本中のどこにでもある、弛緩した空気がぼうぼうと流れているだけである。
もちろんぼくもぼくで、胸中で祈祷をするわけでもなし、おごそかな気落ちになるわけでもなし、反戦を願うでも、平和について考えるわけでもない。
しかしなんだか変だなあと思う。原爆ドーム横を流れるなんとかって川には、つい70年ほど前には死体が山となって流れていたのである。まさに地獄がそこにあったのである。
そんな場所を平然と通りすぎてゆく。もちろん、住人にとってはそれが生活の一部なのだから当然過ぎるのだが、どうにもこうにも、これが被爆地ヒロシマです!という感じが無い。無さすぎる。原爆ドームのすぐ横のガソリンスタンドには、「洗車日本一」という文言と日の丸の図柄をあしらった意味不明ののぼりがズカズカと立っていたりするし、車内では「お好み焼きの徳川へは次でお降りになると便利です」なんてアナウンスが流れたりもする。
人は常に笑ってはいられないように、常に真面目でもいられない。それはよくわかっている。わかっているのだが、違和感を抑えることができない。抑える気なんてさらさらないのだが。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
- 前の記事
- はたらく大人なるもの
- 次の記事
- マスクの価値観