わたしの収入とだれかの未来
2015/07/03
本日の朝日新聞の天声人語は超がつくほど秀逸だと思ったので、それについて書きたい。まずは下記に転載。
英の文豪モームの長編『人間の絆』は、一人の青年の成長と遍歴の物語である。作家は、登場人物にこんな言葉を吐かせている。「そこそこの収入がなければ、人生の半分の可能性とは縁が切れる」(行方昭夫訳)。貧乏は人に屈辱をなめさせ、いわば翼をもぎ取ってしまう、と
▼その言葉を日本の子どもたちにも重ねてみたい。子ども時代の貧困が可能性を狭めてしまうのは、各種の調査で明らかだ。この国では今、18歳未満の7人に1人が「貧困」とされる水準で生活をしている
▼とりわけ1人親の世帯は5割強が貧困状態とされる。学ぶ希望を奪われる子は少なくない。そして親から子への貧困の連鎖となる。悲しい鎖を断ち切るべく、一つの法律がきのう成立した
▼「子どもの貧困対策法」と呼び名は堅いが、親を亡くすなどして実際に苦労をした学生たちの熱意が実った。集会を開き、デモで訴え、国会で意見を述べた。子どもの将来が生まれ育った環境に左右されない。そんな理念が法にこもる
▼具体策はこれからになる。政府が大綱を作って定めるが、ここは造った仏にしっかり魂を入れてほしい。銀の匙(さじ)をくわえた世継ぎの多い政界である。想像力を欠かぬよう願いたい
▼ものの本によれば、「貧」という字は「貝」を「分」ける意味だという。貝は古代、貴重な財産とされた。そこからの想像だが、富をうまい具合に分配して、貧をなくしていく政治がほしい。可能性への切符を買う貝を、どの子の手にも握らせたい。
(朝日新聞/天声人語/2013年6月20日(木)付)
「そこそこの収入がなければ、人生の半分の可能性とは縁が切れる」とは、なんという名言だろうか。もう、さっそくアマゾンにてサマセット・モームの人間の絆をご注文した次第である。
閑話休題。
そこそこの収入の基準は人によって異なる。しかし誰しもその基準の拠り所とするのは、自分の生まれ育った環境であろう。
そこでぼくの思うそこそこの収入とは、衣食住に困らないことはもちろん、習い事も自由にさせてあげることができ、欲しいものもほどほどに買ってあげられて、高校や大学の選択に際して公立私立を絶対の基準として課さないで済む、こと。
こう書き出すと、ああ、なんて自分は恵まれた環境で育ったのだろうかと思う。そのように育ったからこそ、おおむね素直で、まあまあ穏やかで、性格が残念な感じではひねくれていないのだと思う(どうせおれなんてとか、人なんて誰も信じられない的な)。
言うまでもなく人は親を選んで生まれることはできない。人生とはとてつもなく不平等で、不条理だ。それを乗り越えるのが人生だと言ってしまえばそれまでだが、しかし、乗り越えるための知識や精神をどうやって体得するか。この世はありとあらゆることに金がかかる。地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものである。
貧困は、たしかに子供の可能性を減じる。たとえば剣道に興味を持ったとしても、武具や習うための月謝を払えなければそこで可能生はゼロとなる。
もちろん、努力と工夫でどうにかなることも決して少なくない。しかし、そこそこの収入が無ければ、人は笑うことすらままならないのが現実だ。
日夜金策に窮している家庭に生まれ落ちた子供は、どのように育つだろう。たとえば給食費や、学校の行事の費用を頼むとき、申し訳ない気持ちで胸を潰しながら親に渡さねばならない子供は、どうなっていくだろう。
父の背中に、母の額に、どうしようもない焦燥や疲弊を感じ取らない子供はいない。そんな状況の夫婦関係なんて火を見るよりも明らかで、金の切れ目が縁の切れ目である。破綻こそしていなくとも暗澹として、その狭間で子供は万力にギリギリと締め上げられるようなものだろう。
愛さえあればという言葉は実に耳ざわりのよい言葉なので、つい口にして、そんな気にもなってひたってしまうが、しかし、愛だけではどうにもならないのがこの世界なのだ。愛も必要だし、お金も必要。それはちょうど自転車の両輪のようなものであって、ふたつがうまく回ってはじめて前へと進むのだ。
すべての子供に銀の匙をとまでは言わないが、せめて錆びない、ステンレスの匙はくわえさせてあげたい。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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