人間のばか、ばか、好き。
最終更新: 2015/07/03
雪景色は見たいが寒いのはいやだ。入道雲を連れて海山川と駆け回りたいが暑いのはいやだ。
世の中なめんな馬鹿野郎と言いたくなるが、これ立派な大人の主張である。
画像は先日行った登戸のホルモン焼き屋。
焼肉屋によく行くという人はもはや気にも留めないだろう、炭火焼きの上の直接的すぎるダクト。しかしぼくの焼肉屋経験値は今年で言うと3回かそこら、生まれてからの通算でも10回程度ではないかと思う。そういうわけで非常な違和感があるのである。
肉は焼きたし食いたしだが、けむいのや服や髪がくさくなるのはいやだという人に対し、では、これでいかがでしょうかという知恵者の鮮やかな解答例な気がする。
こういう仕組みができたのがいつごろかは知らないが、思いつきそうで思いつかないなと思う。
古来より、人間はけむいのがいやだった。江戸から明治ごろの日本庶民は目を病んでいる者が多かったという。そのころの家にはふつう、いろりがあり、そこで煮炊きをするので、いわば毎日がキャンプ、飯ごう炊さんなのである。その煙で目を病んだのであった(一方では目薬もよく売れた)。
古来より、人間はくさいのもいやだった。昔のフランスかどっかの社交会では、タバコ(現代のタバコとは比較にならないほどくさい代物)を吸うのに別室を設けることはもちろん、その部屋に出入りするたびに服を着替えたという(典型的な西洋貴族の図で見る、あのややこしく大仰な服を、である)。
けむいのもくさいのもいやだけれど、食や嗜好の快楽は諦めきれない、いや、そもそも諦める気がない。
そのように考えてみると、この煙が立つはしから吸い込んでしまうダクトは、実はとんでもない発明品のような気がしてくる。
これは魔法に近いのではないか。なぜなら、本来、両立しないものを両立させる道具であるから。
世の中には両立させたいができないことは山ほどある。いや、むしろそればかりである。よくあるのは「働きたくはないが金がほしいor金は欲しいが働きたくない」であろうが、とにかくは人間が願うのはそんな土台無理な話ばかりである。
しかし、それだけに奇跡的に両立しえた時には何物にも代えがたい快楽を生む。
焼肉屋の換気システムもだが、こたつでアイスを食べることや、夏にクーラーの効き過ぎる部屋で毛布にくるまることなども、その代表格であろう。
神はこの世に過不足なくすべてのものを創造したらしいが、ふつう自然界ではありえないものまでも創造していたのであろうか。少なくともそのような"不自然な"行為は、自然に生きていたら、それこそ天と地がひっくり返ってもあり得ない。
あり得ないからかどうか、今週、人類は滅亡するという。2012年12月21日、マヤ文明の予言である。
しかし、ぼくに言わせれば、あれほど神秘的で壮大な天地創造という物語を創り上げた神様が、そんなマヤだかワヤだかどこの馬の骨ともわからない一民族に予言できるような陳腐なエンディングを創るだろうかという気がする。
いつかの人類滅亡は避けられないにしても、神様ならばきっと、「ああ、これぞ空前絶後の人類滅亡というものだ」と、一瞬にして人類ひとり残らず納得し感服するような、恐ろしく気の利いたエンディングを用意してくれているに違いないのだ。

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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