幸福な、滑落する日々

  2017/08/22

昨日は樋口夫婦(仮)に招かれて、鉄板焼きであった。つい先日も、樋口の嫁(仮)がモツ煮込みを作り過ぎたという、あまりにも庶民的かつ牧歌的なお誘いを受けて訪問したばかりである。

というか、その時などは酔っぱらった挙句、泊まっていけよということになり、朝までぐっすり眠らせていただいた次第である。布団の品質のおかげか、異常なほど熟睡できた気がする。そして、一晩にしてはとんでもなく長く感じられる夢を見た気がする。内容は忘れた。漠然と幸福な雰囲気だった気がする。たゆたうような夢だった気がする。というか、あらゆる夢はたゆたっているような気もする。

「気がする」を連発して、まったくあやふやな文章だなと、我ながら思う。しかし、断定口調でない時の人というのは、往々にして幸せな時なのだと思う。人間というものは、心が荒むと何かと断定口調になりがちである。

金のないやつはだめだ、ブスは生きてる価値がない、生きてたって楽しいことなんか無い、とか、とか、とか。翻って幸せな時は、金がなくたっていいじゃない、ブスだって笑ってりゃいいじゃない、生きてるだけで丸儲けじゃない、というようなことになる。

いや、至って適当な論。ということで、ひさしぶりのブログにもかかわらず、人様の文章に接続したい。

【しあわせのトンボ:天使と共に日々これ好日=近藤勝重】

 うらうらと晴れた小春日和の一日だった。何か無為に過ごしたような気がしたが、思い返せばよく笑った日でもあった。

 朝方、散歩時、シーズーを連れたおばさんに出会った。シーズーは丸顔に大きな目、鼻はぺしゃっとして全体にくしゃくしゃっとした顔つきの犬だが、おばさんもよく似た顔立ちである。

 思わずワン君に「きみはお母さん似だねえ」と言ってしまったが、おばさんは「よく言われるんですよー」と笑顔になって、「何で似るんですかねー」と顔をさらにくしゃくしゃにして喜んでいた。似ているということがどうしてうれしいのか、そしてどうしておかしいのか。ともあれこちらも大笑いしての一日の始まりに、何か心が弾んだ。

 その日はバスにも乗った。学生街を走るバスで、女子学生数人の横に座って彼女たちの話を聞くともなく聞いていた。

 「煮物って好き?」「好き、好き」「どうやって作るの」「煮るんじゃないの?」「作れる?」「作れない」「煮物のおいしい店知ってるよ。行く?」「行く、行く」

 たわいない話ながら、バスを降りてから笑いがこみ上げてきた。

 この後、用事を一つすませて最寄りの駅へと続く路地を歩いた。その時、「焼きいもー、焼きいもー」の声が辺りに響いた。小型車がのろのろ走りながら、スピーカーでお客を呼び込んでいる。

 思い出すことがあった。生前、中島らも氏がテレビで話していたことだ。原稿に行き詰まった時、表を焼きいも屋が通ったという前置きの後、こう話が続いたのだ。

 「人がこんなに苦労してんのに何が焼きいもやって笑っちゃって……その一日一日には必ずひとり天使がいる。それが何か電車のホームにいた助役さんであったり、スポーツ新聞を売っているおばちゃんであったり……何かね、その日の天使がひとり、それがあればやっていけるんですけどね」

 心に残る話であった。

 ぼくはその日、何人もの天使に会った。何とはなしに物悲しい晩秋の一日も、こんなぐあいに過ぎてくれれば日々これ好日である。(専門編集委員)

(毎日新聞 2013年11月15日 14時39分)
http://mainichi.jp/opinion/news/20131115k0000e070206000c.html

今朝、寝ぼけまなこでiPhoneからfacebookを見た。ある既婚女性のアカウントを使って、その夫だという方からの投稿だった。その既婚女性は先日、統合失調症のすえに自殺したとのことであった。

それで、妻のアカウントを使って、亡き妻の友人知人の方々にお礼などもろもろをつづっていたのであった。

目覚めきらない呆けた頭に、じわりと、何か、生のにおい、または死の空気とでもいうようなものが広がった。

幸せは往々にしてばかばかしい、というのがぼくの持論である。なぜならそれは、つかもうとすればすべり落ちる、風流に言えば一握の砂か、泥臭くいえばドジョウかウナギのようなものだからだ。

だから、幸せを語るのは難しい。不幸は延々と饒舌に語れるが、幸せはいつも言葉少なで、そして瞬く間に過ぎ去ってしまう。

ぼくの最近の人生の感触は、どうにも「すべり落ちている」感じがする。それはたぶん、幸福だということなんだろうと思う。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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