むろん、どこにも行かない三連休

  2017/08/22

みなさま、おひさしぶりでございます。三連休はまったくブログを書かずに過ごしてしまいましたが、アクティブなみなさんにおかれましては、あちこち物見遊山にでかけられたことでしょう、ね。

しかしもちろんぼく自身につきましては、自宅でしこしこと制作、制作です。この三連休の作業量は目標の7割程度に終わってしまったものの、ようやくで出品予定の作品7点の完成の見通しがついてきました。というのが本日の画像。なんかカーテン以外はアトリエっぽいでしょう。

あ、まだ知らない方向けに再告知。2012年10月30日(火)〜11月5日(月)まで「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.5」という展覧会に出品予定です。詳細は下記URLにて。

http://www.tagboat.com/event/2012YAJ5/index.html

というわけであと1ヵ月半足らずなので、徐々に危機感が高まってきておりまして、今日も3時20分に起床し絵の制作2ゲーム。しかも明日からは学校が始まるので、さらに危機感があおられます。

ところでこの三連休は男はつらいよを2本見た。たぶんもう10本くらいは見たと思うが、だんだん男はつらいよの本質らしきものが見えてきた気がする。それは「極小コミュニティの閉そく性とその真逆への指向」ではないだろうか。って調子に乗って小難しく言ってしまったが、わかりやすく言えば「小さな集団にある安心や息苦しさと、それを抜け出したいと思う気持ち」である。

しかし、本来「極小コミュニティの閉そく性」というのは、日本人にとっては、多かれ少なかれ日本の家庭の典型であり、別段めずらしいものでもない。そのため、むしろ当たり前のものとして見逃されるところであろう。しかし寅さんという異質な存在があることによって「極小コミュニティの閉そく性」、つまり我々の日常生活があらためて意識させられる。

とらやとその周辺には、秩序ある清く正しい人々の日常生活というものが根底にある。それは我々の日常となんら変わらない。むしろ平凡さ退屈さが誇張されているような世界である。

そこへ不定期に寅さんがふらっと帰ってくることで日常性が破壊される。寅さんはしばらくは居座るが、あくまでも仮住まいで、いつ出て行ってもおかしくない存在である。そのような不確定要素がコミュニティ内に存在するという状態は、日常ではなく非日常である。

ただ、その日常と非日常の境目はとても淡い(または、淡く見える)。寅さんが出て行けばまたすぐにでも、次の瞬間にでも日常が戻ってくるからだ。たとえば親戚の子供を受験などのためにしばらく預かるというような場合がそうであろう。親戚の子供がいる間はどうにも非日常であるのだが、居なくなればまたたく間に日常が戻ってくる。

とても淡い日常と非日常。それが交互に、ときに混ざり合いながら展開される。

我々はそこに自分たちとおなじ日常への共感と安らぎ、寅さんのような"ふらふら"とした生き様=非日常に対する憧れを抱く。しかもこの憧れは、若年層がアイドルに抱くような強烈なものではなく、むしろ優しくおだやかなものである。誰でも一度は思ったことがあるだろう「今日は会社に行きたくない、このままどこかに行ってしまいたい」というような日常を飛び出したくなる軽い衝動を、映画の中で寅さんは悠々とやってのける、というか常にそうやって生きている。

だから我々は、さくらをはじめとしたとらやの人々に自らの日常を見つけて再確認し、平凡な日常も捨てたもんじゃないと安堵し、寅さんには非日常を見て、勇気と希望をもらうのだろう。

そんなふうなことを思ったのは、寅さんシリーズにいくつかある、外国そのものや外国人が登場する話を見てからである。

はっきり言って、外国そのものや外国人が登場する話はどうにもおもしろくない。

それはなぜか。おそらく、極小コミュニティの閉そく性、日常を破壊する者が二人も存在することになってしまうからではなかろうか。二人も存在してしまうと、日常がほどよく壊されて楽しい非日常になるのではなく、ほとんど完全に壊されてしまい、我々の日常をそこに重ね合わせることができなくなるからだろうと思う。

良くも悪くも島国である日本の、閉ざされた家庭の、グローバリズムの正反対を地で行くような、どこにも行かない、どこにも行けない人々の物語だからこそ、ワンパターンであるにも関わらず我々は毎度毎度とらやのどたばた、悲喜こもごもを心地よく味わえるのだ。

たぶん、我々のDNAには、閉じられた社会における安心感や共同体意識が染み付いてしまっているのだ。

そう考えると、幕末、ペリー率いる黒船が開国を迫る前までの江戸時代というやつは、さぞかし心地よい愉快な日常だったことだろう。なんて、宇宙にまでグローバリズムの足音が響く現代だからこそ、いつかの閉じられた時代はいっそう輝きを持って迫ってくる。我々日本人が男はつらいよに見るものは、多くを語らなくとも分かり合えた、世界でもまれにみる完全な共同体への郷愁と憧憬、その消しがたいDNAの慟哭なのである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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