夢がないことは悲しい

最終更新: 2017/08/22

一日一時間制作、ランニング、そして体重計にのると66.2kg。

65kgまでもうちょっとだからというわけではないがまた映画を見た。ミヒャエル・ハネケ監督の「ベニーズ・ビデオ」。

もうね、おれはデビッドフィンチャー以上にミヒャエル・ハネケが好きになってしまった。大学の頃に樋口にまた貸ししてもらったかなんかで見たファニーゲーム以来、特にミヒャエル・ハネケの映画を見ていなかったのが、最近立て続けに「71フラグメンツ」「セブンス・コンチネント」と見て、そして今回の「ベニーズ・ビデオ」ときたのだが、もうね、全部いい。この人の才能が怖すぎる。まさしく鬼才。

勝手に解説すると、ミヒャエル・ハネケの映画にはいくつかの特長がある。

・なんの前触れもなく食事をするような当たり前さで突然に殺人が起こる

・画面が無機的で、清潔というか潔癖な感じがする。

・場面と音楽の不調和(明らかにシリアスな場面なのに陽気なラテン音楽が流れていたりする)

・始まり方、終わり方が超曖昧(長い物語の一部を恣意的に切り取った感じ)

・人間関係が希薄(に見える)もしくは不全(会話もスキンシップもあるが、全然分かり合えてなさそう)。

と、さらに広辞苑くらいの厚みで語りたいのだが、これくらいにしておこう、閑話休題。

そう、今日のお話は、夢がないことは悲しい、と思ったことについて。

先日、ある人と社交辞令的な雑談をしていて、週末に何をしていたかという話になった。ぼくよりも若いその彼は言った。

「することがなくて、とりあえずドラクエやってた」

へー、と相槌を打ってはみたがぼくは、腹の中では完全に見下してしまっていた。

それがダメだというわけではないし、それにドラクエを作ってる人たちからするとゲームをしてくれる人が居なくちゃ話にならないし、それはまあ世の中にとっては経済を回すことに繋がったりするのではあるだろうけれど、なんか、そりゃあんまりだろうと思ってしまう自分がいた。なんかもっと、やることがあるだろうと。

とはいえ、夢というか、為すべきこと、成し遂げたいことがない人ってのは、たぶん、想像以上に多いのだろう。そしてその人たちの人生は、想像以上に暇で、退屈なのだろうと思う。

中島 敦(1909〜1942年)という日本の小説家がこんな言葉を残している。

「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」

いつの世も人が夢みることに批判的な人間はいるものだが、それはもしかするとあまりにも自分とかけ離れた存在に対する恐れや嫉妬からくるのかもしれない。なにかしらを成し遂げた人について語るときによく「生涯を駆け抜けた」なんて表現が使われるが、それはまったくもって実感に基づく表現なのかもしれない。

それにしても、若くてエネルギーも時間もあるのにドラクエで暇をつぶすなんてもったいないと、そんな歳でもあるまいに老婆心のようなことを思ってしまう。まあぼくの人生にそいつの人生など爪の先ほどの関係もないのだが、しかし、すこしだけ悲しい。

昨日は珍しく雨が降った。

秋風秋雨人を愁殺す

中国は清朝の末期に革命を目指し、31歳で斬首処刑された秋瑾という女性の辞世の句である。秋の風、秋の雨は人を物憂げにするものだと。

しかしこれから死ぬという人間がのんきに季節のことなどを詠うはずもなく、それはきっと比喩で、そう、立秋とか云々ではなくて、一生を秋のように、また冬のように過ごすとしたら、それはもう、ただただうんざりするほどの長ったらしい暇でしかないだろう。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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