さよならぼくの一部

  2015/07/03

東京を離れる日が近づくにつれ、また当日にも、意外にいろんな人からメールが来た。

すべてちゃんと読んだが誰にもメールを返していない。

なんだかとてつもなく薄っぺらい返信になりそうだったし、どうもそういう気持ちがちっとも湧いてこないのであった。

なのでこのブログで勝手に何かしらを感じ取ってくれたらいい。

最後にブログを更新したのは8日。そして9日からあっという間に今日15日になった。

9日は画像のとおり牛丼の落下撮影会をした。落合南長崎にて。

吉野家の牛丼から、カップラーメン、焼きそばなど、とにかくはもったいないおばけに瞬殺されそうな勢いの撮影会であった。しかしそのぶん収穫は大きかったのでかまやしないという自己中で問題ない。

夜は撮影おつかれさまでみんなで2軒ほど飲み歩いた。いろいろ話して笑った気がする。零時を大きく回ってから家に帰って寝た。寝る前に少し涙が出た。

すぐに朝が来た。2月10日。引越しの用意をした。なかなか片付かないなと思っているうちに夕方になった。また別の人と飲みに行った。この日もまたやたらと笑った気がする。泥酔して家に帰ってひとりさらに飲んで、ベッドに飛び込んだ。またすこし、枕が濡れた。

やっぱりすぐに朝が来た。11日。お昼過ぎに頼んでいたリサイクルショップの人が来て、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、照明などなどを引き取ってもらった。そのおっさんはすべての家電をごく簡単に一瞥して6000円だと言った。運び出すのを手伝ってくれと言われたので、手伝ってあげた。帰り際、やっぱり掃除機もいらないので掃除機も売りますと言ったが、値段は変わらず、黙って引き取られていった。

主要な家電が無くなると、なんだかひとつの財産を失ったような気がして、すごく、心細くなった。

それはともかく引越しの準備を続けた。夜はさすらうために登戸駅近くの和食屋っぽい居酒屋に行った。ひとりビールと日本酒とをサンマの塩焼き等々でちびちびやりながら、そこの大将と客とのやり取りを聞いていた。

後輩が車でバトルしたら、負けたって言うんすよ。それで、おれに頼むからカタキを取ってくれって、泣きついてきてね。それでね、おれも男だから、引き受けましたよ。で、そのバトルの当日、なんとかってとこのサービスエリアに集合ですよ。そしたら相手がね、スカイラインをバッキバキに改造した車で、だけどそいつ、グローブしててどうしようもないアキバ系なんですよ。そしたらその野郎、調子こきやがっていまどきファックって指立ててきたんすよ。それでおれも頭きて、ちくしょうこいつ絶対殺すと思って云々。

ぼくは、あー、ニワトリくらいの脳ミソしか入ってねーんだろーなこいつとか思いながら、まあいいやとお勘定をお願いした。ニワトリ野郎がお会計をしてくれた。いっちょまえに2760円ですと言った。釣りはいらねーよニワトリ野郎と心の中で思いながらお釣りを受け取って、店を出た。家に帰ってすぐにベッドにもぐり込んだ。言いようのないさびしさというかむなしさというかやるせなさというか、まあ、メロドラの泣き所を豪華に集めたような心持ちで、ひとしきり泣いた。

あきれるほどすぐに朝が来た。2月12日。やっぱり引越しの準備をした。それと走り納めとばかりに、多摩川沿いを走った。人に話してもしょうがない個人的ないろいろを思った。

夜は学校に行った。最後の学科のテストだった。そのあとでみんなで集合写真を撮った。それはきっと思い出ということになるのだろうけれど、どうでもいいなとしか思わなかった。一年半か、と考えれば一応感慨っぽいものを感じられるのかもしれないが、まあ、単に時間が過ぎただけである。

というわけで学校の飲み会には行かず、そのあとは親しい友人等々とぼくのお別れ会という名目で、新宿で飲んだ。ぼくとひぐちの一番のコレクターであるミサワ氏が酔って暴走し、アゴが外れるほど笑った。笑うのは健康にいいな、精神にいいな、きっといいなと思いながら、笑っていた。

終電を逃したミサワ氏を連れて、ひぐちと三人で登戸まで帰った。ラーメン屋に行って岩のりらーめん及びしょうゆチャーハンを食べてシメとした。

じゃあなーと言って家に帰って、次の日のことを考えてしっかりシャワーを浴びて布団に入った。瞬間、せきを切ったように泣けてきた。思うところがいろいろとあった。それはもう、いろいろだ。泣きながらいつの間にか眠っていた。

朝は7時過ぎに起きた。2月13日。学校の出席日数が足りないので、クソみたいな補講に行かなければならないのであった。

満員電車に揺られた。学校で、午前午後と、3〜4人という少人数で、みそ汁とかねぎご飯とか厚焼き卵とかを作って、あとは主にいかにも罰ゲーム的な掃除をさせられて、16時前くらいに終了した。帰り道にさっそくコック服一式を駅のゴミ箱に投げ捨てた。

まっすぐ家に帰った。まだ残っている引越しの準備をした。夜は誰かと飲みに行った。ほとんどしゃべらなかった。押し黙って、ただ飲んだ。

家に帰って寝た。涙は出なかった。

2月14日。どうでもいいけどバレンタインデー。9時に引越し屋が来て、手際よくぼくの荷物を運び出していった。

全部の荷物が運び出されて何も無くなった部屋を見ると、不意に涙がこみ上げてきたが、我慢した。

広島に帰るのだと一年以上も前から決めていたのに、頭の中ではすっかり整理がついているのにも関わらず。

以前も書いたが、想像することと、実際にやることとは確かに絶対的に違うのだなと思った。

それから不動産屋が来て立ち会って、鍵を渡した。すぐに家を出て、東京駅、ではなく品川駅に向かった。

いつもと変わらず、電車の中ではずっと本を読んでいた。読んでいたが、心のすきま風が、なにかにつけぼくの心を引っかき回した。

品川駅に着いた。自由席なので、12時37分の博多行きに乗ることにした。10分ほど待つと、当たり前だがホームに新幹線がやってきて、そのドアを開けた。ぼくは躊躇なく乗り込んだ。

決して空いてはいなかったが、混んでもいなかった。適当な席に座った。

ほどなく走り出した。瞬間、これまたえもいわれぬ感情がこみ上げてきて、涙があふれてきた、が、隣席その他に多数の人の目があるので我慢した。涙をごまかそうと、缶ビールを開けた。駅弁も開けた。豪華な幕の内弁当1300円。ビール飲んで駅弁食べてとすると、確かに涙がごまかされた。しかし、あくまでもごまかされただけだった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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