虚飾なき単なる日記

  2017/08/22

昨日は二日酔いだったので、一日中だるかった。ちょっと頭も痛かった。

どうにかこうにか仕事を終えて帰り道、うどんを食べて帰ろうかと思い、何軒か、うどん屋の店外のメニュー表を見て回った。が、うどんの分際でだいたい500円以上もするのでやめた。節約である。と言っても、普段の金遣いの荒さからすると焼け石に水ではある。

箱根そばあたりが懐かしい。仕方なく、まっすぐ帰って朝ごはんのパスタの残りと麦飯の残りをレンジでチンして、つまり恐ろしく中途半端なものを食べて、すぐに寝た。21時前くらい。

3時くらいには自然に起きるだろうと思っていた。そうして絵を描いてランニングもしよう。だいたい、最近は途中で目覚めないことがない。が、完全に熟睡して、はっと気づけば6時前であった。

寝たなぁぁ、と思ったが、決して爽やかではない。子供のときは、もっとさわやかな目覚めだった気がするが、大人になってからの目覚めは十中八九だるい。おそらく、年々身体に蓄積してゆく老廃物がそのようにさせるのであろう。

いっそぎりぎりまで寝ようかと思ったが、それじゃクソ人間だろうと思い起床。

まず米をとぎ、炊飯機にかける。溜まっている洗い物を片付ける。食器用洗剤が無くなりそう、というか、無くなった。買い置きがなかったので、仕方なくキレイキレイ、ハンドソープで洗う。なんかちょっと気持ち悪いけれど、手洗い用なんだから安全ではあるだろう。少なくとも、他の洗剤、お風呂用とかトイレ用よりは、よっぽど安全だろう、とか、どうでもいいことを考えながら、洗い物を終える。

それからダイニングテーブルとリビングテーブル?、とにかくは二つテーブルを拭き上げて、掃除機をかける。洗濯機を回す。それと洗濯物を取り込む、と言ってもこの家にベランダは無く室内干しなので、洗濯物をはずすか降ろすと表現したほうが正しいかもしれない。それでまあ、そのようにして、洗濯物をたたむ、というよりぼくの場合は、丸める。

基本的にマメな性格だが、こと洗濯物に関してはめんどうくさいことこの上ないのだ。だって、どうせまた着るんでしょ? それなのになぜきれいにたたむ必要が?とりあえず小さくしとけばいいんでしょ? ということで、丸める。丸めて、引き出しに納める、というより、押し込む。これもまた、どうせこんなとこ、誰も見ないでしょ?という浅ましい発想である。

ぼくの部屋の法則として、表面上は至極ととのっていてきれいだが、中はだいたいぐちゃぐちゃである。今朝、放送大学で鴨長明の方丈記について論じていて、鴨長明曰く、その人の生き方、その人の本質は住まいに顕れる、という。なるほどなと思ったが、とすると、ぼくという人間は、見てくれはなかなか整っているが、心はどろどろと汚濁しており嫌な奴、というところであろう。ぼくのことを知っている人ならば、これを読んで、うむうむ確かにと首肯される方も少なくないであろう。

この頃、ピー、ピーと、洗濯機が洗濯し終わったことを知らせる。洗い物を洗濯機から出して、干す。次いで、ピピー、ピピーと、炊飯器が炊飯が完了したことを告げる。洗濯機とは微妙に音が違う。ピー、ピーではなく、ピピー、ピピーである。どうでもいい違いだが。ぼくは台所に行き、朝ごはん兼お弁当を作る。

長ネギをななめに切って、豚ミンチを少し入れ、グレープシードオイルで炒める。塩こしょうして、卵をひとつ放り込む。も少し炒める。終了。

もう一品は、新玉ねぎを一個、細切りにする。それからやはり豚ミンチをほんの少し入れ、グレープシードオイルを入れ、塩コショウしてじっくり炒める。途中でしめじも入れる。なんかよくわからんが、スパイシーにしとこうと思い、適当な香辛料、タイム、ナツメグ、それからSBのカレー粉を入れる。で、終了。

お弁当に銀紙を入れて仕切りを作り、詰める。炊き上がった麦飯を入れる。

残りは朝ごはんとなる。放送大学を聞きつつ、本(愛はなぜ終わるのか、という重い本)を読みながらゆっくり食べる。食後にはコーヒーを入れる。

時計を見やるとすでに7時40分である。絵も描かなきゃと思い、タイマーを1時間にセットして描き始める。途中、英語もしなくっちゃと一旦タイマーを止めて、先週土曜に勉強した英語のテキストを立ったまま一通り音読する。それからまたタイマーを再開して、絵を描く。1時間は描きたかったが、ちょっと時間が厳しいなということで、45分で切り上げる。

歯を磨く。それから顔も洗う。ひげをそろうかと思ったが、やめる。最近はめんどうくさいので、伸ばしっぱなしのことが多い。料理学校に行っていたときは校則でひげを伸ばせなかったので毎日剃っていたが、もはやそんな校則はなく、それに職業柄見てくれは自由なので、伸ばしっぱなしでちょい悪オヤジを気取っている、というか、そろそろ親父になりたいものである。

それからトイレにゆく。ぼくは昔からトイレにこもる性質があり、本が10冊近く置いてある。その中から、「母乳」「縄文の歴史」「ハックルベリーフィンの冒険」「わたしを離さないで」という本を各2ページずつくらい読む。そして正面に自ら取り付けたフックに鏡をひっかけて、自画像を描く。

大学時代から毎朝自画像を描いていると言うとだいたいみな感嘆の声を上げるが、なんのことはない。毎朝うんこをしながら自分の顔をぶりぶりと記録しているだけである。なので、ぼくの自画像のすべては大便にまみれているといっても決して過言ではない、というか、単なる事実。

そうして時間ぎりぎりまで制作、というか踏ん張ってから、慌ててトイレを出る。手を入念に洗って、日焼け止めを塗りたくって、もう一度手を洗って(手のひらの日焼け止めは洗いたい)、玄関脇に置いてあるロクシタンのハンドクリームを左手の中指の付け根あたりにちょびっと付けてから、家を出る。

エレベーターに乗る。乗ると、さきほどちょびっとつけたハンドクリームが床に落下する。あーあと思うが、仕方ないので、会社に向かって歩き始める。

歩きながら、カバンから別のハンドクリームを取り出して、手に塗る。爪の付け根および手のひらをマッサージしながら、ほとんど会社につくまでずうっと、両手をぐにぐにとマッサージし続けながら歩く。約20分。

会社に着く。感覚としては、ここでわたしの一日はすでに終わったようなものである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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