佐村河内という呪文

  2017/08/22

世間に無関心なぼくがいまさらくどくどと語る必要もないが、例の事件である。

現代のベートーベンが一転、ピアノも弾けず、楽譜もかけず、耳も聞こえていた、という。

ぼくにとっては、ある一人の売れっ子音楽家が嘘をついていたというだけで、ぼくの給料が上がるわけでもメシがまずくなるわけでもないので、つまり全然関係ないので、どうでもいいことである。

むしろ興味を覚えるのは、世間の異様とも思える叩き方である。

そりゃあ、非難されてしかるべきことではあるだろうけれど、そこまで怒ることだろうか。

仮にぼく自身が熱烈なファンでCDを全部買っていたとしても、騙されたとは別に思わないと思う。だって、それを聞いて十分楽しく、いい気分を味わったわけでしょう。少なくとも、”損”したわけではない。むしろ”得”をしたのだと思う。

”涙を流すほど感動できる”音楽など、人の寿命が延びたとはいえ、おいそれと出会えるものでもないだろう。

話は横道にそれるが、ぼくが今までで唯一感動し、痺れて涙を流した音楽はビョークの「セルマソングス~ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク」だけである。

これはビョーク主演の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のサントラであるのだが、ぼくはこの映画を見る以前に、相当にこのサントラを聞き込んでいた。

その後、ようやくで映画を見たときに、あの曲がこのように使われるとは、ここであの曲が来るか……か、かっこいい……かっこよすぎるわ……じーん……ぼろぼろぼろ……と、感動の涙にむせんだのであった。いや、冗談抜きで。

それは、映画で音楽に触れて気に入ってサントラを購入とはまったく逆の流れで――だからこそ涙を流すほど感動できたのだろうが――引き合いに出すべき事例ではないかもしれないが、仮にそのビョークが、実は作曲はおろか、歌声もすべて無名の音大教授に依頼してましたと言われたところで、「あの感動を返せ!」なんて糾弾は、どう考えてもしないだろうと思うのだ。

繰り返しになるが、だってその音楽で十分に楽しんだのだから、いまさら何をという話である。今後は、ビョークのビジュアルを愛しつつ、その音大教授の曲も愛するという分割を行うだけである。

結婚相手が別人だったとか、夜な夜なまぐわってた人が全然知らない人だったりしたならば、おれの青春を返せ!などと訴訟も辞さないであろうが、たかが音楽ではないか。

”たかが”などというと、音楽を心から愛する人々の反感を買いそうだが、ここで用いた”たかが”とは、「制作物自体は何も変わらないのだから別にいいじゃないか」という意味で、である。

もちろん聞く人の態度や気持ちは変わるだろうが、しかし、音楽とは、音にこそ価値があり、音をこそ楽しむものではないのだろうか。

そんなに「佐村河内が作った音楽」がよかったのだろうか。

よくわからんオッサンが握ったおにぎりより、愛しい恋人が握ってくれたおにぎりのほうがいいというような話なら全然わかるが、「佐村河内が作った音楽は最高」だけど、「新垣が作った音楽は最低」となると、ぼくとしてはちょっと首をかしげざるを得ない。

ぼくの勝手な感慨としては、もろもろの日ごろの鬱憤を、待ってましたとばかりに佐村河内叩きで晴らしているだけではないだろうか。それは別に佐村河内でなくとも誰でもよくて、とにかくは”成功者の転落”という構図を「いい気味だ」と、自身のうだつのあがらなさのはけ口として嘲笑っているだけではないだろうか。

それほど突っ込んでこの事件について調べたわけではないが、今更、わざわざ佐村河内のCDを買って聞いてから改めて叩いてみたり、自伝の著作を買ってわざわざ読んでまでこのペテン師めと叩くというのは、どこかおかしいというか、寒々しいというか、荒んでいるのは佐村河内よりもあなた自身ではないかという気さえする。

そういう過剰な佐村河内叩きに比べれば、佐村河内自身の名誉欲などは――世間を欺くという、手段を選ばないほど強烈なものではあったが――誰しもが追い求める”ごく健全な”自己実現欲求でしかなかったように思えてしまうのは、あるいは、ぼくだけなのだろうか。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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