むりやりな有意義
2015/07/03
昨日、一昨日と、驚くほど、いや、呆れるほど何もしていない。
寝るか、酒を飲むか、よくよく丁寧に思い返してもそれ以外に見当たらない。
気が済むまで飲んでいた。で、1日18時間くらい寝ていた。大学生並に寝ていた。身体と脳が、酒によってか呆け心によってか、無気力としかいいようのない鈍重な痺れに侵されていた。廃人とはこういうことを言うのであろうと思った。
ひたすらに布団をかぶって、当てもなく惰眠をむさぼっていた。それでも、3時間とか、4時間ごとに目が覚めるのだが、目覚めるとまたすぐに眠りたくてしょうがなかった。意識が働いているのが面倒くさく、あらゆる事柄がうっとうしくて、かったるくてしょうがなかった。全てのことを放棄したかった。たとえば、人間であることを。
とはいえ、ナルコプレシーでもなければいつかは眠れなくなる。そうなると、やはり布団を頭の先まですっぽりとかぶって、ひたすらにiPhoneをいじっていた。
内訳としては、Twitter 2割、 facebook 1割 はてなブックマーク 7割。
そうして、世の中の、取るに足りない出来事とか、よくわからない言説、時事問題、政治、科学、歴史、とかいう風に書くとちょっとくらいはまともな記事を閲覧しているようだが、内実は、宇宙人に連れ去られたことがあるかどうかの○×チェックだとか、島根県庁内のすべての時計がある日の深夜1時35分で停止していたという怪現象だとか、猫背にはこんな体操が効くとか、私は彼にとってセフレなのでしょうかという質問だとか、結婚式の平均予算だとか、ダイエットの方法だとか、あるいは世界各地での戦争や紛争の画像だとか、心霊写真だとか、絶景の画像だとか、アイドルやらグラビアの画像だとか、そういったものを、無軌道に、並列に、高尚も低俗もなく同じ次元で何時間もぼんやりと眺めていた。
そういう時の私の目は、まさに死んだ魚の目に違いないだろうと思う。黒目はたぶん、相当に白み、黄ばんでいる。その目の縁には、腐敗してぶくぶくと怪しいガスが漏れ出しているかのごとく、緑色っぽいあぶくが、垂れるか垂れないかのところでじくじくと溜まっている。
頭では何かしなきゃなあと思う。本当に、心から、しなきゃいけないなあと思う。絵も描かなきゃいけないし、牛丼を食べている映像を撮影しなきゃいけないし、それの咀嚼音の録音もしなきゃいけないし、映像を編集するソフトの勉強もしなきゃいけないし、カタルシスを得るための自伝的小説も書かなきゃいけないし、部屋も掃除しなきゃいけないし、本も読まなきゃいけないし、落選した馬鹿でかい絵を勝手に広島の実家に着払いで送りつけちゃったからお母さんに電話して謝らなきゃいけないし、しかし、ああ、うう、うおおぉぉぉ、めんどくさい。すべて無視させてくれ。すべて忘れたい。関係ない関係ない関係ない全ての関係をやめたい!めんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさい、アアッ、めんどくせぇぇーーーー!
というような、とっとと死んだ方がいいだろうという二日間ののち、ようやくで回復した本日、5時起床。
さてと朝ご飯を食べようと台所に向かう。ところがシンクには尋常ではない量の洗い物が溜まっている。炊飯器の底で冷えきった白飯を使って焼き飯を作ろうと思っていたが、しかし、フライパンはシンクの奥深くに、いくつもの茶碗やお皿、何膳もの箸や菜箸、スプーンやフォーク、そして生ごみの浮遊する汚濁した水底に、何キロも延々と押し流されてきた挙句のようにくたびれきって横たわっている。
ぼくは思わず、「深ぇ……」とつぶやいた。起きがけに大量の洗い物だなんて、こんなに気分のすぐれない話はない。しかし、それらを洗わねば何も始まらないことも分かり過ぎるほどに分かりきっていることで、仕方がないとしか言いようがない。
腹を決めて黙々と洗いながら、それにしても、どうしてぼくは昨日のうちにやっておかなかったんだろうと思った。後悔と言えばよさそうなものだが、後悔とはちょっと違う。むしろ不思議に近い。
なぜあなたは昨日、ずっと寝ていたのですか? いくらでも時間があったでしょう? 洗い物くらい、30分もあればできたことでしょう?
わかっている。そんなことはわかっているのだが、昨日はできなかったのだ。今日、今はできるけど、昨日はできなかった。どうしてもできなかった。
だって、本当に、何にもしたくなかったから。
ようやくで洗い物を終えると、予定通り、適当な焼き飯(具材は卵はおろか塩こんぶのみ)を作って食べた。コーヒーを入れてクッキーを二枚ほど食べた。それから、見るも無残にてんでばらばらに脱ぎ散らかされた衣類をかきあつめ、廃人の汗と油でどろどろになったシーツや枕カバーをはぎとり洗濯機に放り込んで回した。部屋を片付け、掃除機をかけた。お風呂に入り、我ながらいかにも中年の人間失格といった感じのすえた臭いの漂う身体を念入りに磨き上げた。上がると、まだ十分に雪景色を望めるベランダに出て、洗濯を干した。
部屋も、自分も、みるみるうちに綺麗になり、すっきりとして見違えるようだった。
なぜ、どうして昨日や一昨日にはできなかったんだろう。ぼくは、こんなにしゃきしゃき動けるんじゃないか。やればできるじゃないか。
でも、できなかったものはできなかったのだから仕方がない。
ふっと、大学の頃に付き合っていた彼女のことを思い出した。ぼくはだいたい、おっとりとしていて、あまり身動きはしない方なのだが、何かの拍子に突然動き出すことがよくあった。
それは「あ、ごはん食べよ!」であったり、「あ、お風呂入ろ!」だったり、「あ、あ、あ?」と、特に理由もなかったりした。
それで、たとえば、ベッドなどでぐねぐねだらだらしていたかと思うと、突如としてガバッと起き上がるのである。すると、冗談抜きで彼女の頭に思いっきり頭突きを食らわす形になったりするのであった。
そんなとき、彼女は本気で怒っていた。「ほんと、痛いと! ゆっくり動きーよ! なんで急に動くわけ? ほんと痛い」
そんな風に怒られ、ぼくとしても何の言い訳のしようもない無意味な動きの結果でしかないので、ひたすらに平謝りするしかなかった。
だからなんなんだという話ではあるのだが、そんなことを思い出した。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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