なぜ人は寝過ごしてしまうのか
2017/08/22
画像はいまさらなカクテルの授業。が、なんかいまいち興味が持てなかった。まあ、なんといってもぼくは酒なんてアルコールであればなんでもよい、くらいに思っているせいかもしれない。
それはともかく、昨日は学校から帰ってから(22時30ごろ)、展示プランの公募のファイルをプリントアウトしてまとめた。のだが、画像がどうも悪くて、撮影し直したりしていたら結局0時半ごろまでかかってしまった(しかし結局、作品画像の色も解像度の悪さもあまり改善できず、力尽きた。ぼくはそもそも写真の技術が最低だと痛感した次第)。
仕方ない、今日は2時間半の睡眠でどうにかしようと思っていたら、起きたのは5時。3時に一度起きて、それから二度寝したような記憶がかすかにある。寝起き早々、あーくそっ!とひとり悔しがりながら、昨夜のうちに作っておいた親子丼のベース(たまねぎと鶏肉が煮てあり後は卵を入れるだけの状態)に、溶き卵を割りいれていつもより咀嚼少な目の早食いで時間短縮を試みる。が、出だしが悪かったせいか、どうもうまくいかなかったなあと今に至る。
で、今さらながら「色鉛筆 最適
紙」などとネットで検索してみて、やはり鳥の子紙は出てこないことに納得する。そう、ぼくはあくまでも鳥の子紙の紙の黄ばみが欲しかっただけであって、鳥の子紙の柔らかい質感がほしかったわけじゃないんだよなあと。友人に言われたのだが、この作風だと鳥の子紙よりケント紙のほうがスパッとシャープになっていいと思う、ってのを言われてから、あ〜〜、すげえ納得なんだけど、いまさらケント紙には変えられない……。というわけで、いいや、いやいやいや、鳥の子紙でよかったのだ!と必至で思い込もうとしているのだが、そのくせ内心では次回作はケント紙かワトソン紙にしよう!絶対に!と心に決めていたりする。というか、ようやく色鉛筆のイロハがつかめてきたので、次回作で一から描き直したい。
いや、今の作品を放棄するわけではないが、思考はすでに次作へと向かいつつある……。というか、色鉛筆の技法で検索していたら、「初めから強く描きすぎると"ロウ化"が起こって(表面がロウを塗ったようにツルツルになる)色が乗らなくなるから、薄く何度も色を重ねていくほうがよい」と書いてあって、ああ、すげえ納得、めちゃくちゃロウ化が起こってる、おれの画面、すげえ色が乗らないとこが出始めてる。ああ、やはり色鉛筆だって立派に奥が深いのだなあ……というわけで、最近ようやく獲得してきたぼくなりの色鉛筆テクニックをもってして、一からしっかりと時間をかけて描き上げたい。
って、なんかすげえ込み入ったことばかり描いてしまった。誰がこんな「描いていなければわからないあれやこれや」をわかってくれるというのだろうか。
あ、昨日書こうと思って書き忘れたのだが、制作をしているとどこか解脱するような感覚になるときがある。それで、それはどこか崇高で、一筆一筆が、何か世界の中心に触れているような、この世の真理に触れているような、とか描くと単なる陶酔でしかないと思われるかもしれないが、いや、事実単なる陶酔なんだろうけど、世の中の一切から切り離されたような感じになる。つまり絵の画面とぼくの手が持つ色鉛筆の先端が触れている1ミリにも満たないその点の部分に、世界がまるごと詰まっているような気がしてくる。
もともとぼくは、世界の状況やこの世のあらゆること、不況だ税金だ少子化だ放射能だ仕事だ人間関係だとかいう煩雑な一切を無視して、まったく関係ないところで生きていたいという絶対にふつうの会社での出世は望めないだろう気持ちが強くあって、だからぼくにとって絵を描くということは、あるいは単なる世捨ての隠遁生活、簡単に言えば現実逃避なのかもしれない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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