刺青、いわゆるタトゥーについて

  2017/08/22

facebookを見ていると、タトゥーを生業としている人の投稿に、知り合いがいいね!をしていたのでなんとなくリンクを辿ってみた。

まあ、いろいろなタトゥーがあった。女性や男性の背中や腕や太ももや胸に、色とりどりの図柄が彫り込まれていた。なかなか悪くない図柄もあれば、こんなのを一生モノで入れるなんて狂気の沙汰だなというものまでさまざまあった。

そういえば、かなり前に、国立代々木競技場であったシャネルのイベントで、豚の剥製に刺青を入れた作品があったが、あれはよかったなあなんてこともついでに思い出した。(正式名称はMOBILE ART - CHANEL CONTEMPORARY ART CONTAINER BY ZAHA HADIDで、2008年6月らしい。その日は雨で、当時の彼女と傘をさして並んだことを覚えている)。

タトゥーを入れた人たちを眺めていると、いったいこの人たちはどうするのだろうという疑問が(処世として)、ふと湧き上がってきた。それで「刺青 是非」というキーワードで検索してみた。

すると例の大阪市の職員で刺青を入れている人間は解雇だとかなんとかの件に続いて、彼女が刺青を入れようとしていますが止めたいです。どうしたらいいでしょうか。自分には温泉やプールに入れないというようなことしか思い浮かびません。ほかにデメリットがあれば教えてくださいというような質問があった。

回答は月並みなものから実際に刺青を入れている人の実体験まであった。興味のある方は各々勝手に調べてほしい。

それはともかく、そういえばぼくもかつては刺青を入れようと思っていたことを思い出した。

上京したばかりのころで、つまり今よりも短絡的(今でも十分に短絡的だが)に血気さかんな時分で、樋口と二人で、東京に行ったら決意の証として(いま考えればなんの決意かよくわからない)刺青を入れようと、本気で考えていた。

ぼくはいろいろ考えた末に、二の腕に「0」と入れることにした。何もかも無なので、ゼロ。無こそすべてで、だから0。ゼロってかっこいい。というようなことである。

この話題については、少なくとも樋口と20〜30回は話したと思う。それで樋口がどんな図柄を入れるかも聞いたと思うが、人の話はあまり聞いていないぼくなので、全然覚えていない。とにかくは結構盛り上がる話題ではあった。

しかし、するりするりと時間は流れて、いつの間にかこの件は立ち消えた。それで今のぼくの二の腕は、少々の吹き出物がのさばる程度で、自他ともに別段の注目もされずになんの変哲もない二の腕のままでいる。

血気さかんだった時分は去り、むしろ血の気の引いたいま考えてみれば、ふつうに入れなくてよかったなと思う。人間は変わるのだと、しみじみ思う。しかし、だからこそ変わらない何かを身体に刻み込むというのは、決意や意思表明として現代でも十分に強いのだとも思う(Chim↑Pomのこっくりさんタトゥーには素で引いたが、それもまた良かれ悪かれ強さの証であろう)。

そういえば、ぼくにとって刺青はピアスに似ている。高校生の時分に、ぼくはピアスを開けた。ある日突然思い立って、姉にピアスを開けてくれと頼んだのである。

その頃、姉とは最悪の仲であったが、なぜだか姉はすんなり了承してくれた。ピアスを開けると言えば対したことは無いが、それは言ってみれば、人体に針を突き刺す傷害行為とも言える。姉はひいき目に見てもSなので、ちょっと猟奇的で、たぶん単純に人の耳とはいえ人体に針を突き刺すのが好きというか楽しかったのだろうと思う。

姉はどこで買ってきたのか、銀色の太くて長い針を取り出した。姉は淡々とぼくに指示した。氷でしばらく耳を冷やせ、横になれ。ぼくは素直に従った。いざ突き刺す段になってぼくは、ちょ、ちょっと待ってと怖気づいたが、男のくせにガタガタ言うなと一喝され、ぼくは観念した。

ピアスを開けてからというもの、ぼくの自意識はしばしば自分の耳たぶに、ピアス、その穴に集中した。おれはピアスを開けている。ほうら見てみろ。ピアスをしているんだぞ、どうだこの野郎。ピアスだぞ、どうだすごいだろう。かっこいいだろう。

いま考えれば噴飯を通り越して腰からぼっきり折れて以後車椅子になりそうな感じではあるが、実際、そんな心持ちだった。

おそらく、自身の脆弱さ、あり余るエネルギーのやり場の無さ、自己のアイデンティティの頼り無さ、漠然とした心許なさを、外的要因で補おうとしたのだろう。それはどう考えても本物の自信やアイデンティティではないが、それなりに自分の存在を支えてくれる要素として機能していたとは思う。

今ではピアスなんてなくても、それこそ刺青なんて入れなくても、絶対的な自信とアイデンティティを誇れるぼくではあるが、しかし、そういうくだらない経験が、分かちがたく今に繋がっていて、そうしてぼくはぼくになっているのだろう。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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