ごはんの食べ方は生き方である
2015/07/03
ミシュランの星を持っている、銀座にある日本料理屋の方を外来講師に迎えての授業である。メニューは「鰆(さわら)のきのこソテー」「子持ちカマスのから揚げ べっこうあんかけ」「焼き茄子と果実のごま和え」。
お上品な日本料理の数々、講師の方の凛とした所作に勉強になることが多かった。どんな分野でも本気でやっている人は威厳というか風格が違うなあという気がしたが、気のせいかもしれない。
あとで聞いたところによると、その方のやっているお店にランチではなく夜、ふつうに食べに行くとおひとり様1万円はするという。しかもアルコールなしでの価格らしい。
思わずぼくは「それだったら笑笑に4回行くわ」と返してしまったのだが、それこそ人間の程度が知れるというものである。
しかし本音なのでしょうがない。ぼくは将来に渡っても、そのような店に定期的に通うようになる気がまったくしないのだから。いや、死ぬまでそのような店ののれんをくぐることはないかもしれない。
話はずれるが、ぼくはいまだに人に「将来は何になりたいの?」と聞いて回るのがちょっとした趣味なのだが、よくよく考えたらすでに将来の真っただ中に違いない年齢である。
なので最近のやり取りは、「将来は何になりたいの?ってすでに将来だけど」と、いちいち注釈をつけるようになった。なってしまった。すこし悲しい。
さて、食べ物の話である。ぼくは今朝、立ち食いソバ屋にて、かき揚げそば330円也を食べた。朝食ではない。朝食は3時前にすでに済ませてあるので8時でも昼食扱いである。そして13時に夕食、は、マイセルフ手作り弁当。夜はおそらく21時ごろ、やむなく夜食ということになるのである。
早起きは三文の得というが、早起きも過ぎたるは一食の損と、新しいことわざを提案したい。
それはともかく、かき揚げそば330円と高級料理10,000円の差を思う。10,000円あれば、かき揚げそばが30杯食えるのである。それはつまり、一日三食で10日食えるということだ。極端な話、10,000円で人生もしくは食糧が終わりだとする。そうしたならば、かき揚げそばを食えば10日、いや一日二食にすれば15日も生きられるのだ。一方、高級料理10,000円は美食に舌鼓を打った一夜の後はいさぎよく死なねばならないのだ。それでおのれの人生を総括できるのか!身辺整理はできるのか!遺書は、遺言は残せるのか!
おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
諸君の中に、一人でも俺といっしょに立ち食いそば屋に行く奴はいないのか。一人もいないんだな。よし!そばというものはだ、かき揚げというものはなんだ。自分の使命………。それでも動物かぁ!それでも動物かぁ!
これがかの有名な三島由紀夫よろしく新宅睦仁の主張である。
きょうのしごと:1時40分起き絵の制作4ゲーム
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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