ぼくはあなたに嫌われている

  2015/07/03

アニメ声に近いその声は、とてもかわいくて、好きだ。

しかし声の主は完全なるおばちゃんである。

特別若く見えるわけでも露出が多いわけでもない、どこにでもいるおばちゃんである。

おばちゃんはスーパーの店員だ。ぼくの家の近所にある、ベンガベンガ(以下ベンガ)という、名前だけは一癖も二癖もありそうだがいたって平凡なスーパーの、レジのおばちゃんである。

二年ほど前に引っ越しをしてから、ぼくは近所のベンガに足しげく通うようになった。最初のころは、決まって毎回そのおばちゃんのレジに並んでいた。

しかしぼくの場合、たいていの男がそうするような、かわいい店員が立つレジに並ぶ行動とは違う。ぼくは今まで、かわいい店員はむしろ避けてきた。おそらくこれからも避けて生きていくだろう。

理由はあるような、ないような、店員がかわいいと、なんだか気遅れしてしまう、というか、やり取りが疲れる、というか、相手のことをかわいいと思うこと自体が疲れる。いや、ひとり勝手に、相手に見下されているような気になってしまうからかもしれない。言ってみれば、美女は例外なく性格が悪いことになっている、ぼくの中では。それでとにかくはかわいい女の子が苦手なのだ。いや、深い関係になるなら話は別だが、表面的な関係でのかわいい女の子ほど面倒くさく感じるものはない。ちなみにその感覚は、ぼくにある自信とはまた別の話である。

そういうわけでぼくにとってレジはおばちゃんに限る。人生にほどよくくたびれた顔は安心感があり、がんばってパートに励んでくださいよという慈しみの念さえ覚えられる。なによりふと目が合ったとしても堂々としていられる、いやもっと、ちょっと微笑んで「今日は天気がいいですね」くらい言えてしまう。だっておばちゃんだから。下心とかそういう自分の心の下世話な部分が微動だにすることがなく、やましさというものがなく、とても清々しい。

仮にチェーン店のスーパーだって、「ありがとう、また来るよ」なんて言えたら素敵ではないか。しかしこれがかわいい女の子だとすると、それは一転、我が目にも傍目にも下心の塊へと堕してしまうのである。断言してもいい。そんなことをしたら十中八九勘違い野郎にされてしまう。そんな行為を2、3回も繰り返そうものなら「ねえ、あの人また来たよ?」と店中のスタッフから白い目で見られ笑い者にされるに決まっている。いかん、絶対にいかん。レジにかわいい女の子を置くんじゃない。やさしいおばちゃんに、子供の養育費等々を地道に稼ぐおばちゃんたちに、むしろおばちゃんたちだけにレジを解放するべきだ!

そんなぼくの「レジ店員中高年女性推奨論」であるが、声だけは別である。スナックで掛け持ちして働き酒ヤケしたような声よりも、アニメ声よろしくかわいいほうがいいに決まっている。結果、ぼくはアニメ声おばちゃんのレジに並ぶことになる。

しかしある日のことである。アニメ声おばちゃんは研修中の店員と二人でレジに立ち、フォローに回っていた。

そこでぼくはいつものようにお会計をしてもらった。研修中の店員は懸命に各商品のバーコードを読み取らせる。アニメ声のおばちゃんはいつものように笑顔で、瓶の商品は袋を二重にしますかァ?雑貨と食品は別にしますかァ?などと聞いてくる。言うまでもなく、アニメ声である。

その時、研修中の店員が値札の付いていないキャベツの値段がわからないようで、手が止まった。研修中の店員は、もちろん隣のアニメ声おばちゃんにフォローを求めて目配せした。

「サッと売り場見てきてッ」

アニメ声のおばちゃんは、そう、小声だが、お客のぼくに見せる笑顔や声とはあまりにもかけ離れた鋭い口調で、まったく笑っていない目で、研修中の店員を売り場へ走らせたのだった。

ぼくはその様子に、表現は大袈裟だが戦慄に近いものを覚えた。わかりやすくいえば、引いた。

しかもその後、そんな場面を何度も目撃した。外部の人間への態度と、内部の人間への態度、つまり外面と内面の落差。

もちろん、誰しもそういう"区別"と"使い分け"は日常的に行っているであろう。しかしアニメ声のおばちゃんは、その切り替えがあまりにも極端かつ鋭いのだ。それはおばちゃんというよりも女子高生の持つような鋭さなのだ。お父さん臭い!汚い!近寄るな!というような、全国のお父さん方が日々ズタズタに切り刻まれている名刀思春期よりもよほど切れ味するどい類のものなのである。

そうして、ぼくはいつしか、あれほど好きだったアニメ声おばちゃんを避けるようになっていた。

今でも毎日のように——昨日も行きました——ベンガに行くが、ぼくはレジをさっと見回して、アニメ声のおばちゃんを避けて並ぶ。

たまにお客の列やレジの状況によって、「先頭の方ァ、こちらもご利用くださいませェ」と、アニメ声おばちゃんのレジに半強制的に回されたりもするが、その時はやはり、知らず知らずのうちに及び腰になり、固くなってしまう。

最近では、もっと、ぼくはアニメ声おばちゃんに嫌われているのだという確信にも似た感覚がある。

聞こえる。

どこかから、聞こえてくる。

あんた毎日来るわよねェ、そんで発泡酒ばっかりだわねェ、おまけに安いワインしか飲まないのねェ。さらには惣菜は半額の時しか買わないわよねェ。くだらない人間ねェ。

美女でもないのに聞こえてくるその被害妄想は、あるいは恋心なのかもしれない。

きょうのしごと:6時20分起き絵の制作1ゲーム(また最近起きれなくなってきた……)

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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