わたしの血と肉と思いなさい

最終更新: 2017/08/22

ひさしぶりすぎる一人飲み。 一人で三件もハシゴしてしまったぼくは、いったいどうしたいのかわからない。

ストレス!ということにしておく。

とりあえずこれは三件目のインド料理屋での、ナンと赤ワイン。

ぼくはこの組合せが相当に好きだと思う。だけど、「ナンと赤ワインが好きなんだよね」って、もしも大学生のときのぼくが聞いたとしたら、心からの軽蔑と見下しを抱いた組合せであろう。

なにがナンだよ、お洒落ぶって、ばっかじゃねえの、という。

人は変わるものである。

しかし今ではこの組合せ、すごく清潔で、神聖な気持ちになって、そしてなにより美味しくて、大好きだ。

神聖な気持ちになる、ってのは、言うまでもなくキリストになぞらえてるからである。何かの本でキリスト教でのパンとワインは日本でいうところの味噌汁とご飯だと書いてあって、そう考えるとそりゃあ血と肉だわと、至極納得したのを覚えている。

でもこれはパンではなくナンではないかと言われるかもしれないが、しかしあのころのパンはむしろこのナンに近いのである。

というのも、新訳聖書にたびたび出てくる記述に「種なしパン」というのがある。

これはイースト菌の入っていないパンのことで、つまり膨らんでいないパンのことである。

なぜ種なしパンでなければならないかと言えば、イースト菌(種)を入れると膨らむという現象が、悪魔が一人でも入り込むと周りに伝染して悪が満ち膨らむということと捉えられており、よくないことと考えられていたからである。それで種なしパンを正統な食べ物としていた。

これは、ぼくが東京に出てきて間もない頃、ひとり鬱々していた時に救いを求めて新訳聖書を読んでいて、さらには毎週日曜は教会に通うようになって、そこの牧師に「種なしパンと出てくるのですがこれはなんですか?」と聞いて得た知識である。

といっても、ぼくは、まったくキリスト教に感化されることはなかった。ただただ、もしも宗教を信じることで、信仰によって満たされ幸せになれるとしたら、そんないいことはないではないか、という現世利益MAXの不純な気持ちで通っていたのだから、無理もないのかもしれない。

でも、なんとなく、いつか何かしらの信仰を持ちたいなあと、ぼんやりと思う。

あらゆる宗教は、基本的に死への恐怖の解消から成り立っている。

天国や地獄、極楽浄土などはよく知られたところたが、アラブでは死ぬと七人の美女が迎えにくるといわれていたりする。

そんなの、ちょっと嫌なことがあったらすぐに首を吊ると思うのだが、いったいにアラブの人たちはその誘惑とどう戦っているのだろう。

ぼくならば、すでにこの世に居ない自信がありすぎるほどあるのだが、しかし、いかんせん信仰のないぼくは土に還るしかないので、いまのうちに七人の美女を探す旅に出なければならないのである。

逝ってきます。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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