30歳の体育祭

  2017/08/22

93回生のみなさま体育祭おつかれさまでした。

昨日は学校の体育祭@池袋の豊島園のグラウンド。

朝から昼まではとてもよく晴れていたのに、13時半ごろからは突如として雷雨となり、なしくずしに終了解散おつかれさまとなってしまった。

まあ、そんなことは結構どうでもよくて、内容としては貴重な経験ではあった気がする。ぼくとしては、ほんとうは、まったく、これっぽっちも行きたくなくて、むしろ家を出る直前までいろいろと理由をこねくり回して休もうとしていたのだが、思いつきで委員長になったとはいえ、責任ってあるよね、たぶん、いやきっと、嫌なこともしなくちゃなんないんだよねと、大人な自分を演じて溜息混じりに家を出た。

天気はとてもよかったのだが、ひどく眠かった。紫外線も、目には見えないがおそらくは強烈であった。

それはともかく体育祭。

100m走とか、大縄跳びとか、綱引きとか、障害物競争とか、百足競争とか、とか、とかっていう、ベタな種目が目白押し。いや、ベタで一向に構わないのだが、30歳のぼくにはそれらのベタが妙にまぶしかった、というか、痛かった。

で、おまえは何をしたんじゃいと言われますと、なぜか100m走に出た。委員長、足速いの?と聞かれたが速いわけがない。と言いつつも実のところ、大人になってから、人とリアルに運動での競争なんてしたことがなかったから、正直言うともしかするとぼくは身長と同様、成長と合わせて自分でも気づかないうちにいつの間にか足が速くなっているのではなかろうか、というひそかな期待があった。

というのも、ちょっと前に、といっても半年くらいも前だが、多摩川の河川敷で、ひとり真夜中に本気でダッシュ、走ってみたのである。すると、自分でもびっくりするほどのスピードが出て(あくまでも自分の中では)、あれ? おれっていつの間にか足が、、速くなって、る、、、、というような、ドラゴンボールでいうところの亀仙人の修行後に重い甲羅をはずした悟空とクリリンのような経験があった。

それで、その100m走でも、もしかしたらもしかすると、それに身長180cmの歩幅ってのもなかなか居ないだろう、とかいう算数できないくせに歩幅のことなんか考えたりして、そうこうしているうちに、スタートのピストルが鳴らされた。

で、ぼくは走った、走った、走った、ら、目の前をたくさんの人たちが走っていた。つまりぼくは明らかに後方のランナーであった。

というわけで、ぼくは足が遅かった。早くなったと思ったのは、大いなる誤解であり錯覚であった。

それでまあ、いつものように、いろいろ思った。

人が居ないと、自分の位置なんて、これっぽっちもわからないんもんだなあと。

もしも誰もいなかったとしたら、あるいはぼくの勘違いはどこまでも肥大して、オリンピックをめざし始めることも無くはないのである。なんてったってぼくはアイドルではなくてぼくの万能感はビョーキであるから。

ただ100m走るだけでも、自分がいったい何なのかが、あらためて見えてくる。とりあえず、ぼくは運動には向いていない。だから、何かしらの運動でメシを食おうなどと思うのは、電車内で目が合っただけであの子はぼくのことが好きなんだな声をかけてみようというくらい、とりあえずやめたほうがいい、こういうことになる。

もしもぼくが進路に悩める若者だったとしたら(いや、現時点でも悩んでるのかもしれないが)、ひとつの選択肢が消えて、そして選択肢が狭まるというのは、大きな前進であろう。

人と比べることで、初めて自分が見えてくる。自分の能力がわかる。向き不向きがわかる。立ち位置がわかる。

まあ、そんな当たり前と言えば当たり前のことを、改めて身を持って痛感しただけでも、イヤイヤながらも体育祭に出席した甲斐はあった、と、思う。いや、思わなきゃやってられない。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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