遠く、からまれる
2017/08/22
バイクがない。無い。盗まれた。
でも、よくよく考えれば別の場所に停めたことを思い出す。
行ってみると、確かにバイクはあった。しかし、ガソリンタンクが無かった。ガソリンタンクだけが、盗まれていた。
治安が悪い、なんだこの街は、クソか、クソばっかりかと腹を立て、そこらを探し回った。
という単なる夢。夢の中に時々バイクは出てくるが、それはほぼ100%かつてぼくが乗っていたYAMAHAのTWであって、記憶ってのはほんとうにどうしようもなくこびりついて離れないものだと思う。それがたとえ夢であっても。
ヤンキーにからまれた。
なに笑ってんだてめえとからまれた。
これは夢ではなく本当の話。先日の福岡の博多の天神あたりの、親不孝通りでの話である。
ぼくらは4軒目というか寝床としてのカラオケに向かって歩いているところであった。
信号待ちをしていると、酔っ払っているのだろう二人組のかたわれが、ただ単に往来しているタクシーに向かって「てめえふざけんな」的なことを怒鳴っていた。
ヤンキーの背後に居たぼくは、思わず吹き出してしまった。だって、走り去るタクシーに怒鳴るなんてなんて無意味、ナンセンスだよアッハッハと。
するとヤンキーの「てめえ」がたちまち切り替わり、ぼくはてめえになった。
てめえ何笑ってんだおい!と目をひんむいてからんできた。ぼくは一瞬あっけに取られたが、キンジがすかさずごめんとかなんとか、なだめはじめてくれた。
なので、ぼくもキンジに倣って、一緒になって謝った。そんなつもりじゃないって、ごめんって、とかなんとか。
しかしまあ、完全にそんなつもりであった。ぼくが吹き出したのはどう控えめに見ても嘲笑の類であって、相手の程度の低さを笑ったに違いなかった。つまり、馬鹿にして笑ったのである。
仮にいま、ぼくが詳しくその笑いの性質の説明をする機会を与えられたとしよう。悪かった、確かにぼくはあなたのことを嘲笑してしまったと伝えたとすると、相手はきっと「なにが"しおわらい(嘲笑)"だコノ野郎!」という程度には頭は空っぽであろうと思うのだ。
というわけで、ぼくは馬鹿を笑ったのである。いや、嗤ったのである。しかしそれもまあ、なにが"むし"だとか(嗤≠虫)、なにが"かいこ"だとか(嗤≠蚕)、どうしようもないことを言うに決まっているだろうという程度には、というか相当に馬鹿にして言っているのである。
馬鹿を笑って何が悪い。でも、ほんとごめんって、そんなつもりじゃなかったんだってと、懸命に?謝罪を繰り返した。
でも、完全にぼくの目は笑っていた。だって、こちらにはなんてったって柔道家の勲章である耳がギョウザになっているキンジ様がついているのだ。そういうわけで口先とは裏腹に、まったくもって安心していた。謝りながら、キンジも大人になったよなあ、なんてことさえ思っていた。
だって、むしろこのヤンキーのようなことをしていたのがキンジという男なのである。大学のころ、キンジは雨の日に香椎駅前の笑笑の前の階段ですべってこけたらしいのだが、後ろで笑った二人組の男をボコボコにするような奴なのである。
しかしまあ、ヤンキーというのは理不尽であることを生業としているのだから、当然と言えば当然かもしれないが、頭が悪いのひとことで定義づけられる存在でもある。
えらくなったなあキンジは、やっぱ子供ができると違うなあ、とかなんとか感慨にふけるのも飽きてきたわというくらいにヤンキーはしつこくからんできたが、皆様のおかげでどうにかこうにかカラオケに逃げ込んでことなきを得た。
そうして、すでにいい思い出である。特にヤンキーどもを振り切る間際、「なんだこのクソメガネ!」と言われたのが、妙に印象に残っている。
ボキャブラリー乏しいなあと思うと同時に、メガネをデブやブスと同じように、罵ることのできる身体的欠陥と捉えられる彼の発想に、ああ、なんだか懐かしいなあと感じ入る。だって、小学校のころとか、確かにブタメガネ的な言葉を使ってたよなあとかなんとか、とにかくはやっぱり馬鹿にして笑った、嗤ったのである。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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