そこはかとなく物憂い新年

  2015/07/03

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

という挨拶が嫌いだ。会社をはじめ、どこででも年明けの定型句として発せられるこの言葉を聞くたびに、どうしようもない気持ち悪さを感じてしまう。

何が気持ち悪いのだろうかと考えてみるのだが、どうもはっきりとしない。しかし、ぼくにとってこれと似た言葉は「よいお年を」なので、あるいは年末年始という時期そのものが嫌いなのかもしれない。

いや、ふだんは美しさのかけらもない下世話な言葉ばかりを弄しているくせに、この時に限っては、どうにも清澄な響きを持つ言葉を口にする。

もしかすると、そのような偽善性が気持ちの悪さの原因かもしれない。まだしも「あけおめ」や「ことよろ」のほうが、自分を含めた人々の身の丈に合っているのではなかろうか。

なんて、まあ、そんなことはどうでもいいのだが、2015年もすでに13日が経過してしまった。歳を重ねるほどに加速してゆく時間の流れの速さには、ただ恐れおののくのみである。

だから時間を大切に、有意義に使おうなどとよく言われるが、そもそも「大切」にしても「有意義」にしても、時間という土台の上にしか成立しないのだから、はなから不可能なことなのではなかろうか。時間を大切にしていたら時間が無くなっちゃったというようなこともあり得るのだ。

たとえるなら、いくら牛丼を作ったところで、かんじんの「丼」がなければ決して牛丼にはなりえないのと同じである。って、あんたまた無理やり自分の領域に引き込んでいやらしいと思われる向きもあるかもしれないが、いやいや、一応ふくらませる小ネタがあるのである。

昨日、ちょっと野暮用で吉野家の丼のサイズをネットで調べていたら、興味深い以下のブログ記事を見つけたのでご紹介したい。

【 吉野家の「牛丼」に対する「大きな疑問」】
http://blog.goo.ne.jp/cocoro110/e/c8c1a2aca83195c0cf493699e1a2004f

これによると、吉野家の『並盛りの「器」に問題がある』という。『「どんぶり」と呼べるのは、直径が140㎜以上の「飯盛り茶碗」の一般的、歴史的、慣習法的な呼称なのです。』と。

そして筆者は、吉野家の牛丼並盛に対して次のように吠える。

『並盛りの器は「どんぶり」ではないのです。「どんぶり」と呼ぶには小さい!!! 断じて小さいのです。丼と呼べない器を使用するのであるから、牛「丼」と呼んではならないのです。』

こういう瑣末な事柄に無駄にエネルギーを注げる人を、ぼくは嫌いじゃない。むしろ好きである。それはともかく、丼が小さい。なるほど、そう言われてみればそうかもしれない。

しかし、『日本工業規格JISにある・・・・・・と言いたいのですが、残念ながらありません。』ともあり、そこが一番重要なのになあと、筆者同様、まったく残念至極である。

話は変わるが、今年は牛丼を描き続けて4年目である。どうひいき目に考えても身体にはあまりよくないだろうから、なるべく牛丼を食べるのは控えたいと思う。

というか、今後はカップヌードルとコンビニ弁当を食す機会が多くなりそうなので、なおのこと身体が心配である。

それにしても最近、どういうわけか、これらの食品が実に”化学的”で”不自然”な味であることを痛感している。むしろ逆に、化学調味料に侵されて中毒的な愛好者にでもなりそうなものなのだが、一体。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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