老若の裂け目(電車内でエアギターに興じる彼はたぶんバンドマン)

最終更新: 2017/08/22

赤いヘッドホンをつけた金髪の若者が、ギターをひく動作、いわゆるエアギターを繰り出している。

右足で激しくリズムをとっている。頭もけっこう振り回していて、彼はいま、どこかのステージに立ってスポットライトを浴びながら、観客をワーキャー言わせているところなのだろう。

ぼくはななめ後ろから、その様子を伺っている。漠然と、幸せそうだなあと思う。彼にはなにか夢があるんだと、勝手に思う。

そう、きっとミュージシャン。ギタリストかもしれない。バンドなんか組んじゃって、たとえばバンド名は「city of death」とか、なんかダサめで、だけど、そんな名前だって、メンバーが膝を突き合わせて、うんうん懸命に考えた末に決まったものだったりする。

練習は不定期だけれど、水曜日だけは外さないという決まりになっている。「リーマンどもが一番疲れている週の真ん中の、中だるみの水曜日に、おれらがリーマンどもに変わって、不満や怒りを代弁して、シャウトするってわけよ、いいだろ?」なんて言ったのは、リーダーのKOJIであった。

いま、エアギターを繰り出しているNOBUは、初めは冗談半分で同意したに過ぎなかった。しかし、いつしか本当にそう思うようになっていた。リーマンどもの不満や怒りを、おれたちが代弁してやる、いやもっと、完全に代弁しているのだと、本気で信じるようになっていた。

ただ、NOBUは、それは代弁などというものではなく、自身の不満や怒りだということには気づけないでいる。そして、それが日々膨張していっているということを、実社会での自分の存在の不安や焦燥感からではなく、自分の夢がどんどんと熱く膨らんでいるものだと勘違いしているのであった。

NOBUは25歳である。十分に若いが、若すぎるというわけでもなかった。先のことなんて、どうでもいい、というわけではないが、現実感がなさ過ぎる。NOBUにとっての現実感は、せいぜいが来週で、かろうじて来月あたりがうっすら見えるぐらいだった。

人生は、いま、とても楽しい。つい先週だって、ライブをやって、歓声を浴びて、打ち上げをして、それからファンだという女の子とヤッたりした。

最高だと思う。いま、最高だと思う。そういうことを思い出すと、エアギターも、俄然熱を帯びてくる。

「フォウッ!」

NOBUは感極まって、思わず吠える。エアギターの弦をかきならす指先が中空を切り刻む。右足のリズムはどんどんスピードを上げてゆく。

   
と、不意に若者は、ヘッドホンを片耳だけずらして、駅員に問うた。ヘッドホンをつけたままだからだろう、やたらでかい声で「すいませぇん! この電車ってえ、中野に止まるんすかァ?」

そのときのぞいた横顔は、若者のそれではなく、40がらみだろうおっさんであった。

NOBUではなく、むしろちゃんと「伸弘」であった。

ぼくと伸弘とは、同じ電車に乗り、国分寺から神田まで一緒だった。

混みあう電車内でも、伸弘は相変わらずで、時に奇声を上げていた。そのたび、周りのリーマンたちは怪訝そうに伸弘に一瞥をくれた。彼らの気持ちを、リーマンらの気持ちを代弁してシャウトしているにも関わらず、伸弘は白い眼で見られていた。

なんだか、ロックでパンクだなあと思う。しかし、お世辞にも幸せそうには見えなかった。ぼくには、何か、この世間と、現在そのものに、あるいは自分自身に必死で抗っているように、とにかくはひどく寂しげに見えた。

老いるというのは、ただそれだけで悲しいなあと思う。逆に、若いというのは、ただそれだけで嬉しいものなのだなあと思う。

そしてぼくは、老若の、ちょうど裂け目に立っている。だから、悲しくて、嬉しくて、だけど刻一刻と、悲しみが増えてゆくのだなあと思う。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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