芸術に、裏も神秘もくそもない。
2017/08/22
どうしてこうも芸術家の制作というのは神秘的に描かれるのだろうか。
というのも映画を適当に借りて見たのだ。二本。「モディリアーニ」と「ボム・ザ・システム 」という映画。
モディリアーニはたぶんいうまでもなく、アメデオ・モディリアーニのことで、あの面長の目玉の無い彫刻みたいな絵を描く画家の話。ボム・ザ・システムは、壁に落書きもしくはグラフィティをする若者たちの話。
この二作は対照的なようで、その実、妙に共通点を感じた。
まずモディリアーニについては、ピカソ、スーチン、ユトリロなどなど巨匠が登場するのだが、どの芸術家にしても、とにかく制作の場面が神秘的に描かれている。天の啓示を受けているかのような電撃的なエフェクトがちりばめられ、画家が制作に没頭する様子がドラマチックに演出されている。ビリビリビリ、ドカーン(天の啓示、嵐なども)。シュバッ、シュッ、シュバーッ、シュバシュバシュバ、ガバーッ(狂ったような筆さばき。こんなんじゃだめだ!という感じでカンバスを投げ飛ばしたりする)。
他の人はどう思うか知らないが、少なくともぼくはその演出に鼻白んでしまった。制作って、そんなもんじゃないだろう。もっと退屈で、地味で、淡々としたもんだろうと、ちょっと反発にも似たような感覚を抱いてしまった。
しかしまた一方では、芸術を見るだけの人たちにとってのイメージでは、まさしくあんな、格闘技の試合みたいに派手で大仰な感じなんだろうなとも思う。
続いてボム・ザ・システムだが、グラフィティによって名を売り世に出ようとする者や、ただ落書きとして憂さを晴らす者など、様々な動機でグラフィティに興じる若者たちの話である。
こちらは確かにドラマチックである。退屈でも地味でも淡々でもない。ストリートの壁面や街中のシャッターというダイナミックな支持体と、スプレー缶という非常にアクティブなメディアが、軽快なダンスのようなイメージ、まあよく同じくくりで扱われるヒップホップのようなイメージとしっくりとはまるからだろう。
それはともかく、印象的だった次のようなセリフがある。
「盗んだスプレー缶で描いたグラフィティじゃないと本物じゃない」
グラフィティでさえそんな意味づけをするのか、と思った。本物とか偽物とか。モディリアーニにしろグラフィティにしろ、絵を描くという行為においては同じであるから、まあ、そういうものなのかもしれない。
話は変わるが、いつかどこかで、「絵を描くことは祈ること」なんて言葉を読んだことがある。
人それぞれだから、祈りたいならいくらでも祈ればいいのだが、しかし、そもそも絵を描くなんて、そんなにたいそうなもんでもないだろうという気がする。
いま思えば、ぼくが画家に対するその種の幻想を失ったのは、そうとうに前だった気がする。
そう、画家が鉛筆や筆を縦に持って腕を伸ばし、人物なり風景なりをじっと凝視している場面を見たことがないだろうか。マンガや映画で、たぶん誰でも一度は見たことがあるだろう。
あの行為は、いかにも画家っぽくて、神秘的である。いや、あった。
ぼくもそう思っていた。とにかくは何かすごいことをしているのだとばかり思っていた。だからよけいに、ぼくがまったくの素人だった高校のとき、デッサンの手ほどきを受けて、あの行為の意味を知ったときの落胆は今も忘れない。
あれは単に、人物であれば鼻の縦の長さと口の横の長さの長短、目の横の長さと耳の縦の長さの長短、風景であればあそこの建物とこちらの建物の高低、云々。とにかくは単に、長さを計ってくらべているだけなのである。
さてさてどっちが長いかな?って、おかあさんといっしょの歌でありそうなものではないか。
ぼくとしては、それでもう十分に、芸術に裏も神秘もくそもないのだと断ずるに十分すぎるくらいなのだが、しかし世の中はそうは思わないのだろうということも、まあ十分にわかることはわかる、けれども。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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