わたしとあなたの幸福論
2016/04/13
たとえば目覚まし時計が鳴り出すように、たとえば悪夢で飛び起きるように、たとえば自動改札のエラ−ではじかれるように、何かしらの現実的で具体的な引っかかり、抵抗があったなら、年越しの瞬間というのはもっと貴重なものになるのかもしれない。
23時過ぎにベッドにもぐり込んだ。
早々に絵を描くのを切り上げて、すでに男はつらいよを二本見終わっていた。笑って、泣いてを、二、三度繰り返していた。
発泡酒と、ワインを赤白合わせて一本程度、年越しそばらしきものは冷たいざるで、山菜の水煮をぶっかけて、やたらとわさびをきかせて食べた。
眠りに沈み込みながら、年越しの瞬間までは、もう一時間もないんだけどなあ、と思った。だけど、どうでもいい気がした。
次に目が覚めたときは午前1時43分だった。2013年か、と思った。もう一度眠った。
次に起きたときは8時18分だった。カーテンの隙間から、わざとらしいような明るさの光が差し込んでいた。2013年か。もう一度思った。
大晦日だという感じも、お正月だという感じもまるでなかった。テレビも、ラジオさえも聴かなかったせいだと思う。
ふと思いついて、あけましておめでとうございますと、ひとり声に出して言ってみたが、なんの意味も感慨もなく、単なる音としてしか響かなかった。
そもそも、一人きりの年越しというのは、生まれて初めてなのだと気がついた。いままで、家族ではなくとも、友達や誰かしらと居ないときはなかったのだ。
そうして、いつもは感じる年の瀬らしさ、心浮き立つ、そわそわ、ぽわんとする感じは、"周りの人々によって"つくられたものなんだなと、思い至った。もっと言えば、周りの人に"煽られて"はじめて、年末年始というものがイベント足りえるのだと思った。
二日酔いになるほど飲んではいなかったし、事実、二日酔いではなかったので、多摩川沿いの土手に、ランニングに出かけた。
同じくランニングをしている人、散歩をしている人、バードウォッチングをしている人、サッカーをしている人、山のような空き缶をひとつずつつぶしている人、サイクリングをしている人、写真を撮っている人、キャッチボールをしている人、凧揚げをしている人、とにかくは人が、思い思いの時間を過ごしていた。
いつものコースを走って、それから、熱と息を落ち着かせようと、めったには行かない方の土手を、ゆっくりと歩いた。
去年の、四月だったか五月だったか、女の子とふたりでお花見をした場所まで歩こうと思った。
あのとき、桜の木の下で青々とうるんでいた芝生は、くすんで、枯れ果てて黄土色になっていた。それは、かつてつややかだった黒髪に白髪が混じり始めるような、戸惑いと、やるせなさを感じさせた。
レジャーシートを敷いて、寝転んで、ビールを飲みながら、他愛もない話をしていた自分と、その女の子のことを思った。そのときの残像でも見えないかと目をこらし、思いをはせたが、何も見えてはこなかった。
見事だ、と思った。時間の流れというのは、ほんとうに、見事なものだ、そう思った。
流れて、流れて、ひたすらに流れてゆく。誰にも止められないから、泳ぐか浮かぶか漂うか、もしくは溺れるか、しかない。
できれば泳ぎたいと思うのが人の情だろうが、それが泳ぎなのか、溺れゆくあがきなのかは、たぶん死ぬまでわからない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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