ひとりカラオケに沈む夜
2016/04/08
誰だったか、なんて名前だったか、あれ、あれだよ、あれよあれ、ほら、あれあれ、あれなんだけど、思い出せない。
零時過ぎ。ひとり、カラオケの歌うんだ村305号室にて苦悩するわたくしである。
ことの始まりは新宿の思い出横丁。友人に呼ばれて飲んだはいいが、そもそも学校後に駆け付けたので飲み始めた時間が遅く、どうも飲み足りなかった。というより、どうも、もの悲しかった。
友人と別れてひとり小田急線に揺られた。登戸に着き、まっすぐ帰ろうかとも思ったが、やはりもの悲しい心の隙間を埋めるのだという理由をつけて、庄屋に向かった。
白ワインをボトルで頼む。ツブ貝の刺身、アジのなめろうを肴に一本飲みきる。ふつうに酔っ払う。
お会計を済ませて外に出た。すると発作的に庄屋の上の階にある歌うんだ村でひとりカラオケをしてやろうという気がぐつぐつと沸き起こってきた。
理由は、やはり、もの悲しいからである。だからして可及的速やかに心の隙間を埋めなければならないのである。自分の歌声でもって、自分の心の隙間を埋めるのである。もはやマスターベーションである。しかし、ぼくは思う。自分で自分を楽しませられるようになってこそ、はじめて一人前の男というものなんだと、何かの本で読んだんだ。DA! Yo! いや、本ではない。辞書である。辞書と言っても書店その他には置いていない辞書である。そう、我輩の心の中の辞書である。我輩の辞書にカラオケについての項目もないが、妥協の二文字も無い。明日も仕事あるよ? もう零時も過ぎてるよ? 帰って寝ようよ? 馬鹿野郎! 明日死ぬかもしれねえだろ! 大事なのは今この瞬間なんだ! 常に全力で行くんだ!Yo!明日の心配なんかしてるからいつまで経ってもおまえはダメなんだよ! ビシッ!バシッ! グハッ! ウグッ! う、う、うううふふふ、ジョー、強くなったな……長々と理屈をこねたが、その実、単に酔っ払いの気まぐれに過ぎないのであった。
歌うんだ村の自動ドアをくぐって、ぼくはまっすぐに受付に歩み寄った。そしてマヌケ面の店員に、ぼくは堂々と、人差し指をすっと、まっすぐ一本、垂直に突き立てて見せてやったんだ。そう、ひとりだよ、ってね。
すると会員証を出せとか、コースはどうするかだのと、こいつがまた下世話で面倒なことを抜かすんだよ。いやいや、根はいい奴なんですよ。といっても初対面だけれども。いやしかしね、鼻の形や大きさを見れば人のことなんてだいたいのことはわかるもんですよ。ほら、ぼくのお鼻を見てごらん。ほうら、なんだか不自然に大きいだろう、ほうら、この鼻がね……それはまあ置いといて、ぼかァとにかくはビールが飲みたいんで適当に見繕ってやってくださいよって言ってやったわけ。すると飲み放題がおすすめですってことでね。ああッ? 飲み放題?放題はいけねえ。最近はとにかくやたらめったら「放題」ってのが多くていけねえんだよ。わがまま放題、やりたい放題、それじゃあ厳しい世間は渡れませんよ、な? そうだろ? おじさんはそう思うぞ、と講釈を垂れているとマイクとリモコンの入ったカゴを渡されましてね。305号室ですはいさいならって。しっかしつれん奴じゃのう。それはともかく、ここでようやく冒頭の歌うんだ村305号室に到着というわけである。
さて、305号室に入り数分後、ビールが届く。ぐいと飲む。それからちょいちょい飲みながら、何を歌おうかを考える。あんな歌こんな歌に思いを巡らす。
が、ここで冒頭の忘却の彼方状態に陥るのであった。歌いたい曲があったはずなのだが、それがどうにも思い出せない。というか、予想以上に酔っ払っていたのである。
全然思い出せないのである。今ならなんなく思い出せる歌手名、曲名なのだが、その時はどうにもこうにも手がかりとなる単語すら出てこないのであった。
そうして思い出そうと酩酊の頭を超絶酷使しうんうん頑張ること小一時間、利用時間が終わりに近づいたころ、ようやくで思い出すことができた。
星野源「くだらないの中に」である。
これこれこれ、これなのである。
♪くだらないの中に、愛が
♪髪の毛のにおいをかぎ合って、くさいなあって、ふざけあったり
ひとり熱唱した。誰に聞かせるわけでもなく、ただただ、自分に聞かせた。自分で、自分のために歌った。歌っているうちに、涙ぐんできた。ほとんど、泣き出してさえいた。いろいろ、それはもういろいろと、泣きたい気持ちなのであった。
次の日の朝も、相変わらずもの悲しかった。だけどまあ、人生ってそういうもんだよなと、おおざっぱに総括して、どうにかこうにか生きているぼくである。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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