没頭する対象としての掃除

最終更新: 2017/08/22

昨日は、ほとんど一日中、家の掃除をしていた。

明々白々な出会いと別れがあり、自分らしくもなく、ちょっと及び腰になるほど、人生の舵を大きく切ったように思われた。

割り切った排泄行為としてではなく、満たされぬ欲望の代替行為としての自慰行為を終えたあとのような、中空を漂う、けだるさと、脱力感と、虚無感。

自分の選択が、正しいのか、間違っているのか、そしてその選択の先にある未来が明るいのか、暗いのか、よくはわからなかった。

当たり前だ。常に、未来は不透明で、透明だった試しなど、ただの一度もないのだ。

しかしそのように選択をした以上は、たとえ強引にでも、無理矢理にでも、選択を決定として、既成事実として、尊重し、揺るぎなく突き進みたいと、念じるように思う。

とはいえ、えもいわれぬ所在なさと、心もとなさが、夜の自販機に群がる夥しい羽虫のように胸中をさざめいていた。

とても創作に精を出すような気分ではなかった。それで、なんとはなしに、部屋の掃除を始めた。

遅い朝食のあと、洗い物をし、その流れのままにシンクを磨き、排水溝に溜まった生ごみを捨て、食器を整理し、ガスコンロ周りの油汚れを丹念に拭き上げる。油煙でゴキブリ色に染まった換気扇のフィルターを交換する。

キッチンマットを剥ぎ取り、洗濯機につっこんで、他の衣類ともども一緒くたに洗う。その間に、台所、絵の制作用の洋室、和室と、掃除機をかける。

散らばっている絵具などの画材を秩序立てて整理する。と、洗濯機の終了のアラームが響く。洗濯機から洗濯かごに取り上げて、ベランダに出て干す。それから画材同様、方々に放置されている書籍を、本棚にきちんと収める。ついでに埃も拭く。流れで、ほかの棚の埃も拭く。

だんだんと、自分のやっている行為が、いったいなんなのか、不明瞭になっていく。

雑巾を絞り、床の水拭きをする。掃除機では吸い取り切れなかった塵埃が、廊下や部屋の、角という角にしぶとく居座っている。それらを、ひとつひとつ、害虫を退治するように、拭いて、拭いて、雑巾を洗い、洗い、絞り、絞り、拭いて、拭いて、拭いて回る。

思考が、白んでゆくような気がした。あるいはそれは、浄化と呼ばれるものかもしれなかった。

しかしまた、何かを考えているようにも思われた。人間について、出会いと別れについて、未来について、その他、とにかくは沈思黙考。

深く、深く、深く! その実、たいして何も考えてはいなかった。いや、考えられなかった。そうしてせいぜい、掃除をすることは、部屋をきれいにしておくことは風水的に良いんだ、とか、その程度のことしか考えてはいなかった。

無心になって、阿呆になって、目の前のゴミを、埃を、汚れを、取り除く。ただただ、取り除く。掃除をして、美しくする。

何か、憑き物に取りつかれたような、逆に、憑き物を払いのけるように、ただひたすらに掃除という行為に没頭した。

ようやくでひと段落つくころには、日は傾いていた。

達成感などは無く、ただ、とても大きな、それでいてひどくせせこましい、五次元とも六次元とも思えるような、とらえどころのない空白を感じた。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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