芸術とか自分とか、どうでもいい話の断片

  2017/08/22

今朝、電車の中で、【構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)布施 英利】という本を読んでいた。ジャスパー・ジョーンズのすごさは、星条旗とか標的とか、もともと2次元のモチーフを選んで、そのまま2次元で表現したということだと書いてあった。

それまでの絵画は、分解した面で構成したキュビスムにしても、多かれ少なかれ3次元のものを2次元に置き換える行為だった。だから彼の行為の明快さは偉大であり革命なのだと。

なるほどなあ、そうなんだよなあと思う。美の価値基準の更新が、そこで起こった。だから傑作。

昨日も雨だったが、今日は晴れている。天気予報では昨日も今日も雨のはずだったが晴れている。予報はあくまでも予報であって、確定ではない。たぶんこうなるだろうと、”予め”報じているに過ぎない。

以前にも書いたが、予言と預言は違う。ノストラダムス(平成生まれの昨今の人にはもはや通じないのではなかろうか……)は予言者だが、キリストの使徒たちは預言者である。神から言葉を”預かって”いるのである。何度もしつこく書くだけに、この雑学は一生モノだと気に入っているのだが、はたと考えてみれば、果たしてどれだけの人がおもしろいと思うのかは疑問である。

それはともかく、天気予報は予報である。繰り返すが、絶対ではない。それと同じで、予定は予め定めるだけであって、確定ではない。しかし、ふつうに考えればこの世に確定などというものはそもそも在り得ないのであって、一寸先は闇が死ぬまで続くのが人生である。

振り返ってみれば結果的に享年80歳とかいうことになるだけであって、日々は常に不明の中にある。

不明は不安である。つまるところ、人生は不安である。そして、なるべく不安を減じようとするのが人間である。貯金や保険がその最たるものである。しかし、それさえも、あてにはならない。お金はもちろん、何一つ、あの世には持っていけない。

そう、死こそが人間にとって最大の不安要因であるのだが、こればっかりはどうすることもできない。

何をどうしても、是が非でも死なねばならない。生きてゆくことは即ち死に近づいてゆくことであるから、生きれば生きるほど不安が募っていく。

しかし、慰めはある。それは貧富貴賤問わず、人間は皆死ぬということだ。

いつか、父と山登りをしている時に、問うたことがある。「なんで大人にならないといけないのか」と。

父曰く「みんな大人になるんじゃけえ、おまえも我慢できるじゃろう」。それから「おまえだけが大きゅうなって、周りはみんな小さいままだったら困るじゃろうが、そういうことはないんじゃけえ」と。

この言葉は、今でもある一定の――たぶん普遍的な――説得力を持って、ぼくの頭に刻み込まれている。

しかし、貧富貴賤の類、最近ホットな話題では結婚だが、このような種類のものには、上述のような論理はまったく意味を為さない。つまり、慰めはもちろん、クソにもならない。いや、屁にすらならない。

「みんな結婚する」なら我慢はできるが、「みんな結婚するわけではない」から、我慢ならないのである。というか、我慢する必要もない。

決してうらやましいというわけではないが、ぼんやりと、しかし、やけに深々と、空しくはある。

ただ、漠然と、何かが終わったような気がするのだ。青春の終焉などと言えば大げさだが、しかし、それに近い何かが、確かに終わったのだと思うのだ。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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