今日、というか、今この瞬間しかないのだけれども。

  2017/08/22

ここ2、3週間ほどのうちに、身辺でいろいろあった。

無難にここに書けることとしては、先週末に高知県にある沢田マンションギャラリーに下見に行ったこと。ちょうど台風の豪雨の真っ只中であり、雨男もここまで来ると立派という壮絶な悪天候であった。

バケツをひっくり返したようなとは大雨でよく使われる表現だが、いやいや、それこそ天をひっくり返したような降りようであった。電車は終日運休、高速道路はおろか下道の国道さえも、時間とともに通行止めの箇所が増えていき、予定通りの一泊二日で帰ることができたのは、奇跡といっても言い過ぎではない。

どうにかこうにかで高知空港を飛び立てたときなど、映画でよくあるラストシーンにも似た、崩壊しつつある街から命からがらヘリかなんかで脱出するような、そんな感じであった。

そうして戻ってきた東京の天候は高知とは一転、至って穏やかで、ひたすらに暑く、結局一度も晴れ間を見ることのできなかった高知が、遠い外国かどこかのように思われた。

時間と、場所と、自分という存在の関係性が、ひどくあやふやなものに感じられた。さらに、帰宅して夜に見たfacebookで、つい昨日、楽しく案内してもらった沢田マンションの地下室が、すっかり水没してしまっている画像がアップされていて、これがまた、何もかもは呆れるほどに脆く、ちょっと信じられないバランスのうえで、かろうじて成立しているだけのような、人生を超えてこの世界そのものの危うさを感じた。

そんなこんなで、と、適当にはしょるが、ぼくは漠然と疲れている、ような気がする。そんな心持ちの今朝、妙に今のぼくの心に響く記事を目にした。以下、「シロクマの屑籠」というブログ記事より引用。

【栄華を誇った人でさえ、唐突に死んでいく】

理研の笹井さんについては、これまでも、これからも多くの事が語られるのだろう。STAP細胞云々については、特に書く事は無い。ただ、大きな才能の消失を悼むより、期待も予測もされなかったはずの一個人の死に、頭を垂れたい。
 
ニュースを知った時、世の無常を直視したような気がして、悲しさで頭がいっぱいになった。
 
笹井さんは、科学研究の最前線を担い、業績を積み上げてきた人物だった。出世街道を駆け上ってきたエリート科学者、と言っても過言ではないだろう。そうやって成果を挙げ続けてきた人が、メディアの耳目を集めたとはいえ、たった一度の疑義を経て、命を失うに至るとは、なんと恐ろしく、儚いことだろう。
 
歴史を振り返れば、このような類例はさほど珍しくない。そうでなくても、病や事故によって人間はあっけなく死んでいく。どんなに野心や才能に恵まれた者も、突然の不運、理不尽な運命には逆らえない。
 
このような未来を、一年前の笹井さんは予期していただろうか?まさか。だが、実際にはこのような8月5日がやって来てしまった。人間は、データを集積可能な領域ではそれなりに予測をたてることができるが、個々人の運命についてはほとんど何も知らない。その、不透明な時間を生きているからこそ、今こうして生きている事実は有り難く、知人友人との再会は交歓に値するのだろう……そんな事は頭ではわかっている!だが、今回のような出来事にいざ直面すると、自分自身の認識の甘さと娑婆世界の容赦の無さに身震いせずにはいられない。
 
私自身もそうだが、たいていの人間は、明日の自分もきっと生きていて、周囲の人間もきっと同じように生き続けているとボンヤリ信じながら生活している。そのこと自体は、決して悪いことではない。けれども人の世はもっともっと理不尽と不測にみちていて、簡単に人間の命脈を断ち切ってしまう。怖ろしいことだと思う。そして情け容赦の無いことだ。
 
私は、笹井さんが生きていたのと同じ娑婆を生きている。だから、他山の石とはするまい。もし破滅が明日に迫っていても、きっと私には知るよしなど無いのだから。

転載元URL:  http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140805/p1

盛者必衰とはよくいったものだが、もっと、この世は諸行無常である。あまりにも、諸行無常である。

ギリシアの哲学者ヘラクレイトスも同様のことを言っている。「我々は二度と同じ川に入ることはできない」。

まさか時を止めたいなどと愚かしいことを願うわけでもないが、しかし、何もかも過ぎ去り、決して二度とはなく、ただ流転するのみだと感じざるを得ない事象に出会ったとき、やりきれない哀しさを覚えるのはなぜなのだろう。

なんて、小難しく考えるまでもなく、単なる無いものねだりであって、どうしようもなく有限であるわれわれは、ほとんど性のようなものとして、無限を欲してしまうだけなのかもしれない。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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