カトリックになってみた

「てみた」じゃねえと思うが、しかし、こと日本において宗教を語るには、このような切り口で語る方がふさわしいように思う。

イエス様は人類の咎を背負って愛だから神の国がアーメンと意気込んだところで、いったい誰が読んでくれるものか。「ああ、そういう人のやつか」で終わりである。

なぜなら日本人の趨勢は無宗教であり、宗教的なものごとには非常な抵抗を持つ。断っておくが、仏教や神道は宗教ではない。あれは哲学であり文化でしかない。

宗教とはまず、信仰することである。日本が誇るキリスト教思想家である内村鑑三の言うには「信仰は懐疑の正反対」とある。まさにその通りであろう。水をワインに変えただとか、五つのパンと二匹の魚で五千人の人々を満腹させたであるとか、はたまた死人を蘇らせたとか、そういう話を、ただひたすらに信じるのである。

私も以前は大方の日本人に漏れず、それを安い近代的思考で捉えて、そんなことがあるわけもなく、この逸話は何を象徴しているのだろうかなどと考えたものであるが、今はそういう読み方を離れた。イエスの行ったあらゆる奇跡を、そういうこともあったのだと思い、頭から信じるようにしている。とはいえ、まだ腹の底から信じきることはできないでいるのではあるが。

ではなぜお前はカトリックなんぞになったのかと言えば、私には確信があるからだ。キリスト教に対する信仰は、必ずや私をよい方に導いてくれるに違いないという、絶対的な確信である。

最近読んだキリスト教の初学者向けの本に、入信は結婚に似ているとあった。全然知らない相手と結婚する人もいないが、完全に知ってからということもまた不可能である。どこかで跳躍しなければならない。つまり、この人とならうまくやっていけるだろうと予想し、期待し、あるいは信じてえいやっと結婚するのである。

それと同じで、私はキリスト教というものが私の人生を助け、導いてくれるに違いないと信じたのである。なぜ信じられるのかと言われても困る。「なぜそんな人と結婚するの?」なんて問いは、誰にとっても愚問であろう。

それこそ余計なお世話だ。なんとなくとしか言いようがない。どれほど重大な決断も、最後は「なんとなく」決まる。未来は誰にもわからない。すべての選択は賭けだ。そうして「なんとなく」生み落とされたのが、あなたであり私ではないか。だから私は、とにかくは先のイースターにおいて洗礼を受けた。

とはいえ、洗礼なんて仰々しいのは響きばかりで、そば屋に置いてあるような水入れでもって頭に水をぶっかけられるだけである。それでありがたく清められちゃって頭から後光がピカーッなんてなるわけもない。頭が濡れたから、タオルで拭いておしまいである。

しかし、これまた結婚と同じである。信仰のかけらもないのに、西洋かぶれの結婚式で病んでも面倒みますとかなんとか愛を誓っちゃうのと大差ない。そう、意味がないと言えば全くないのである。

にも関わらず、誰もそれを意味がないとは言わない。その通り、意味はないけど、意味はあるのである。だから私は、あの日を境にカトリックということになったので、まあ、アーメン、ということなのである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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