韓国のホテルにて

韓国の仁川国際空港に着いたのは深夜だった。

とりあえずSIMを買って通信を確保して、Uberを呼ぶ。

いくらか英語が通じるドライバーだったので、話をする。彼は昨年、日本を旅行したのだという。トーキョー、オーサカとメジャーな都市名を口にして、日本は素晴らしい国だと笑った。

小一時間ばかり走ると、いかにも歓楽街という小道に入っていく。ぎらつくネオンが増えていき、客引きの姿も散見される。

そして到着したホテルは、どう見てもビジネスのホテルではなかった。

「ほんとにここですか?」私はドライバーに尋ねた。困惑しつつも車外に出る。ドライバーも降りて、ホテルの受付に韓国語で確認してくれる。

しかし手元だけ露出して、互いの顔が見えない作りの受付は明らかにラブホテルである。

自分のスマホでも予約情報を確認するが、やっぱりここらしい。いたって健全な旅行予約サイトであるはずのAGODAの掲載基準を疑う。

仕方ないと諦めて、ドライバーに礼を言う。チップを渡そうとするが、受け取ってくれない。日本以外、チップは誰でも喜んで受け取るものと思っていたから意外である。

チェックインの手続きをする。英語が通じないので、翻訳アプリの画面を見せてやりとりする。

韓国は日本並みに英語が通じない。近年、イカゲームやBTSなど、世界的に飛躍したから、英語くらい話せて当然の国になっているものと思っていたが、それとこれとは別らしい。

部屋のカードキーと、歯ブラシなど一式が入ったアメニティの袋を渡される。エレベーターで部屋に向かう。

中は案外ふつうだった。とりあえずシャワーを浴びようとバスルームに入り、電気をつける。換気扇の音とともに、赤、青、緑、いろとりどりの光がくるくる回り出す。

照明のスイッチをあれこれいじってみるが、まともな照明はなく、デフォルトがこれらしい。

やれやれと、アメニティの袋を開けてシャワーの準備をする。シャンプー、ボディソープ、そしてコンドームも出てくる。やはり完全なラブホであった。

とはいえ、ビジネスだろうがラブだろうが、3日もすれば慣れて、単なる寝床になる。

そんなある日の朝、問題が発生した。トイレが詰まったのである。焦って水を流せば流すほど便器の中の水位が上がり、溢れそうになる。

フロントに電話できれば話は早いが、言語が通じるわけもないので、おとなしく1階まで降りて、フロントに行く。

翻訳アプリで「トイレが詰まっているので、直してください」と韓国語で表示して見せる。

受付の横の扉から、五十がらみのおばちゃんが出てきて、彼女のスマホの画面を見せてくる。

「あとで行くから、部屋で待っていてください」

部屋に戻って待っていると、ノックがある。開けると、先ほどのおばちゃんが、トイレのスッポンを持って立っている。

バスルームの電気をつける。換気扇と、三原色が回転し始める。おばちゃんにトイレの状況を見てもらう。

便器のふち、ぎりぎりまでせり上がる、溶けかけたトイレットペーパーが浮遊する汚水が、ピンク、サファイア、エメラルド色に、ぬらぬら、妖しく照らされる。

おばちゃんも、私も、ダンスフロアで朝まで踊ろうという感じで、ぎらぎら、照らされる。

ともあれ、おばちゃんは慣れた手つきでスッポンを差し入れて、作業を開始した。私はその様子を背後で見守る。

ずぼ、ずぼ、ずぼ――その音は、どう考えても、このホテルの部屋にとって馴染みのある音だった。

部屋はきっとこう思っている。男と女がいて、こういう音がしているということは、そういうことだ。

いや、まじめな話、これは決して特殊な妄想ではない。

だれでも一度くらい、実家のかつての自室とか、思い入れのある場所に帰ったとき、感慨にふけったことがあるはずだ。

この部屋は、私の人生にあったあんなことやこんなことを、ぜんぶ知ってるんだよなあ、と。

そう、部屋はなんでも知っている。扇状的な照明のもと、男と女がいて、そして特徴的な音が断続的に響く、ということは。

待ってくれ、違う、誤解だと言いたくなる。

おばちゃんは苦戦しつつも、5分たらずで詰まりを解消してくれた。

私はほっとして、礼を言った。労いの意味を込めて、テーブルの上に放ってあった少額の韓国ウォン紙幣をチップとして手渡す。

彼女は「カムサハムニダ(ありがとう)」と、はにかみながら受け取って帰っていった。

が、この一連の流れでは――女を招き入れるなり、即、例の音が発生し、のち、金を渡してドアが閉まる――もはや、言い訳も苦しい。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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