飛行機に乗るときは死ぬ覚悟で

  2025/03/20

『CZ307便にご搭乗予定のシンタクトモニ様、確認させていただきたいことがございますので、チケットカウンターまでお越しください。』

中国の広州白雲国際空港で、アナウンスが流れた。

にわかに不安になる。飛行機に乗れないとか、追加料金を払えとか、荷物が無くなったとか。海外、特に空港では何が起こるかわかったもんじゃない。

しかし杞憂で、単にオランダから日本に戻るチケットはあるかという確認だった。

帰りのチケットはないが、オランダの居住ビザを持っているむねを伝えると、それなら問題ないとのこと。

まもなく搭乗手続きが始まって、飛行機に乗り込み、席につく。シートベルトをして、離陸を待つ。

乗客の荷物が、ベルトコンベアを伝って航空機の貨物室に吸い込まれていく。

それが終わってしばらくすると、静かに窓外が動き始める。滑走路へゆっくりと移動する。

飛行機に乗れば必ずあるこの時間、私はいつも人生を振り返る。死ぬかもしれないから。

冗談ではない。飛行機は落ちる。正確には「落ちることがある」。

航空機の事故率は0.0009%で、438年間毎日搭乗して1度の確率だという。

車よりよほど安全だと言われるが、確かに、車の場合の『死亡』事故率は約0.00214%なので、185年間毎日乗車して1度の確率になる。

つまり、合理的に考えるなら、飛行機に乗るときは車の2.38倍安心していいし、逆に車に乗るときは飛行機の2.38倍心配すべきということになる。

しかし、ここには確率の誤謬がある。

当たり前の話だが、438年も生きた人間はいないし、438年間毎日飛行機に乗った人間もいない。

この確率論を文字通り信じれば、「人間は飛行機では絶対に死なない」ということになる。

そんなわけはない。飛行機が墜落して死んだ人間はいくらでもいる。

つまり、現実でこの種の机上の確率論を当てにするのは不合理で危険だということだ。

結局、話はシンプルで、飛行機の墜落する確率は、コイン投げと同じで、常に50:50、落ちるか落ちないかでしかない。

この考えは私の独創ではない。敬愛するナシーム・ニコラス・タレブが、『ブラック・スワン』の中で、確率論が現実世界でいかに当てにならないかを指摘しているのである。

だからこそ、私は毎回、真面目に、真剣に考える。思い残すことはないか、やり残したことはないかと。

そしてこれまた毎回おなじく思うのは、やり残したことも、思い残すことも、本当に、嘘偽りなく、まったくないということである。

人間に生まれてきたからこその喜怒哀楽、そのすべてをもう嫌というほど味わったし、四十年あまりも繰り返せば必要十分だと思うから。

もちろん、これからもいろんなことがあるだろう。しかしそれはいつかの経験に似たバリエーションみたいなもので、アイデアの出尽くしたブランドがやたら色違いを出すのと大差ない。

つまり、もはや完全にオリジナルの経験など望むべくもないのである。そして実際問題、何もかも飽きてしまっているのだ。

飛行機が目的の滑走路に入り、停止する。しばしの静寂の後、エンジンが低くうなり、徐々にその勢いを増す。

一気にスピードが上がり、身体に重力を感じる。ふわっとしたかと思うと、中空に飛び出す。

聞くところによると、離陸時と着陸時にもっとも事故リスクが高まるという。

しかし、仮に航空機事故率の0.0009%が自動車事故率並みの0.00214%にはね上がったところで、あるいは、実はエンジンに致命的な欠陥があり、事故率が100%になっていたとしても、誰もそれを体感することができない。

そう、確率なんてものは、科学的に見えて、実は人間の主観や思い込みであり、いっそ幻想に過ぎない。

飛行機は順調に航行を続け、無事オランダのスキポール空港に到着する。

地上に降り立った瞬間、私が航空機事故で死ぬ確率はゼロになる。

安堵感よりも、なんとなくがっかりする。やれやれ、また生きていかなければならない。

イミグレーションを済ませるが早いか、空港内のバーに行って、ビールを飲む。やっぱり、オランダのビールは日本の何倍もうまい。

そういえば、酒を飲んで死ぬ人もたくさんいる。そこでまた考える。思い残すことはないか、やり残したことはないか、ぼんやりと。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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