ベトナムで靴を磨かれながら考える経済

  2025/03/20

夜、ベトナムのハノイで酒を飲んでいると、男に声をかけられた。

身振り手振りで言うには、靴を磨かせてくれということらしい。

いくらかと尋ねると、100,000ベトナムドン(約580円)だという。

いくらか酩酊してもいた私は、面白半分で頼んでみることにした。なんと言っても、私が履いていたのはスニーカーであって、「磨く」ような代物ではないのである。

男は、まず私に靴を脱ぐよう促した。代わりに、ホテルにあるような薄っぺらいスリッパを渡され、履けという。

男はさっそく、歯ブラシのようなものに液体の洗剤を少しばかりかけて、スニーカーを磨く、というか洗い始めた。

それは、小学校だか中学校だか、上履きを風呂場で洗ういつかの自分を想起させた。つまり、どう見ても「靴磨き」ではなく「靴洗い」で、スニーカーは次第に濡れそぼっていくのであった。

しまいには靴ひもの部分まで同じ要領で洗いはじめた。内側に水が浸食していくのは明らかであった。

私は、いっそ冗談で頼んだから笑って見ていられるが、大真面目なら怒る人もあるのではないか。

とはいえ、彼はいたって真剣な顔つきで、懸命にやっていることだけはわかる。

しかし、この仕事にはいったいなんの価値があるのだろうかと思う。仕事とは、究極、付加価値を生み出すことである。

たとえばパン屋なら、小麦粉や卵などの素材を組み合わせて焼き上げパンにすることで「価値を付与」する。

むろん、靴磨きはサービス業にあたるから、具体的なモノはない。とはいえ、どんな仕事にしろ、価値が創出されなければ対価は発生しない。

整体なら肩が軽くなるとか、弁護士ならトラブルを解決することで価値が生まれる。

そんなこんなで生み出された価値の総量がGDP(国内総生産)というやつだが、極論、この靴磨きは、外出先で私の靴をびしょ濡れにしているだけである。

それでも、とにかくは私が対価を払った時点で、いわば金銭が動きさえすれば、価値というものが発生していることになるのかもしれない。

ヤブ医者、詐欺まがいのコンサル、居眠り政治家なんかであれば、もっと大きな金額が動く。

世の中に付加価値を生み出さない、むしろ損害を及ぼす仕事でも、GDPにはしっかり計上されているということだ。

一説によると、アメリカのGDPは世界最大だが、過剰な訴訟コストが多く含まれているという。日本では考えられない規模で、訴え訴えられという非生産的なことに金が費やされているのである。

そう考えると、GDPなんてものは、国力の証でもなんでもないのかもしれない。単にあの手この手で金をあっちこっちに動かした、その結果というだけで。

靴磨きは、すっかり濡れそぼったスニーカーを薄汚れた布で拭き上げた。私は「シン カムォン(ありがとう)」と言って受け取り、スニーカーに足を入れた。

中はじんわり湿っており、靴ひもは完全に濡れている。それでもなんとなくいい気分にはなってきて、また頼むこともあるかもしれないとさえ思ったから、これはこれでGDPに計上されるべき立派な仕事なんだということにしておきたい。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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