グループ展「トーキョーワンダーウォール公募2015」2015/6/6〜6/28
2018/07/03
偶然の結晶
先週の金曜は、東京都現代美術館にて「トーキョーワンダーウォール公募2015」の授賞式であった。
すでにSNSでは何度となく「入選!入選!」と言いふらしているので辟易される向きもあろうが、改めてぼくの心のひだというやつをブログに書かせていただきたいと思う。
一応、宣伝しておくと、以下の通り拙作「コンビニ弁当の山 ♯41-03」が展示されているので、暇で暇で仕方がないという方はご高覧いただければ幸いである。
会 期:2015年06月06日(土) - 2015年06月28日(日)
会 場:東京都現代美術館 企画展示室3F
休館日:月曜日
時 間:10:00 - 18:00
入場料:無料
URL http://www.tokyo-ws.org/archive/2015/04/2015-1.shtml
なんというか、ぼくにとって、この公募に対する恨みつらみたるや、相当のものがある。なんといっても、2005年に東京に出てきてからというもの、折にふれて応募しては落選ハガキを送り返されているからである。かれこれ5、6回は「落選」の文字、というかハンコ、というか無意味な赤インクのにじみを見せられている。
自信のある時も無い時もあったが、しかし、そんな私の気持ちはおかまいなしに、いつでもそのハガキには「落選」のハンコがポンと押されているのであった。
まったく、どこのど阿呆がこのすばらしい才能の持ち主に無慈悲な落選のハンコを押印し発送処理をしているのだろう。事務員だかバイトだかなんだか知らないが、とにかくはそのいまいましいクソ野郎に問答無用で二日酔いの朝一番の小便でもかけてやりたい、そうして土下座させてやりたい、どうだ、まいったか、才能あるって言え、言わないか!言うまでひっかけ続けるぞ! ほら泣け、泣きわめけ、ばーかばーか。
そのような悲惨な経験を、何度も何度もしたのである。その末に勝ち取った入選ハガキなのである。
ただ、「勝ち取った」と表現したものの、実際のところ、これはほとんど偶然のたまものだろうと思っている。三十余年も生きていれば、世の中のいろいろもある程度はわかったつもりである。そう、努力が必ずしも報われるとは限らない。むしろ、往々にして報われない。
この世は「なぜ」の連続である。ああすればこうなるのは、せいぜいが箸の上げ下げくらいのもので、あとはもう本当に「ああしてもこうならない」のであり、もっと「どうにもならない」のが人生なのだと思う。
だからまあ、これは、努力の結晶ではなくて偶然の結晶なのだと思うのだ。
だって、ぼくよりがんばっている人は山ほどいるだろうし、才能にしたってそう。たまたま、何がどうなってそうなったのかはわからないが、それこそ偶然の糸がズバババッと駆け抜けて、たまたま、入選通知のハガキがぼくのもとに届くことになった。
もちろん、ぼくは必然的に喜んだが、届いたのは偶然である。偶然に喜ぶのは宝クジと同じで、人間のサガである。決して株を守りて兎を待ち続ける人を笑うことはできない。ほとんどの人はその後――おそらくは死ぬまで―――買わなきゃ当たらないんだよなどと、したり顔で言うようになるのもまた、人間のサガなのである。
だからもう、ぼくは死ぬまで芸術をやめることができないだろう。何があっても、芸術というよくわからないことを現在進行形でやり続けるだろう。だって、お父さんは昔、絵を描いていて、東京都現代美術館で展示されたこともあるんだよ、なんて、色あせすりきれた宝くじの当選券を後生大事にしまっておくようなものだろう。
今、お父さんの絵が展示されているから見に行こうと、今、言いたい、今。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。