電池の絵がうまく描けない

最終更新: 2017/08/22

つまり、どこにも行きたくない-F1001003.jpg

リアリズムとはなんだろうか。描き進めてはいるんだけどどうも“本物らしさ”が今ひとつ出ない。
別に絵画の域を飛び越えたいわけじゃないんだけど、僕のは「うそくさい絵」で停滞してしまっているというのを強く感じる。
描き込んだ量=リアルさ、ではないんだろう。リアルと感じる感覚は理屈ではない、無論、良い絵というのも理屈ではなく、どこかよくわからないところでうまくヤジロベーみたく成立しているものなんだろう。
閑話休題、とは書かずに今日は話は変わると書くけど、Yahoo!ニュースによりと昨今の若者は自己否定感が強く自尊心が低めらしい、て、なんかこの話題については以前も何かのきっかけで書いた気がする、から、違う切り口で書いてみる。
僕のスタンスから言うと「なんで自尊心が持てないのかわかんねー」という感じなんだけど、今日はどうやったら自尊心を育めるかを書くことにしてみる。
って、漠然と思索してみたけど、自尊心が持てるか持てないって貧困層か中流か富裕層かとか生まれてくるところが選べないみたいに、その境遇に左右されるところが大きいんじゃないか。
たとえば小学生あたりの時分に「○○君の家って大きいね」などと言われれば、それは自分の手柄でもなんでもなくても「あ、おれって結構すごいんだな」と単純に思えてしまうものだと思う。
いや、どうなんだろ、僕が単純過ぎるだけかもしれない。
とりあえずなんとなく、でも絶対に自尊心を持つために必要だろうなと思うものがある。
それは「愛」である。
「おめえはマザーテレサかよっ」って感じだけど、実際問題これがなければ自尊心なんて育めるわけがない。
愛 とひとくくりに言っても、親や友人や恋人などの人間だけからではなく、たとえば「この植物に私が水をやらなければ枯れてしまう」というようなことを思うのも愛の一つだろうし、だいっ嫌いだけど、「私が居ないと飼い犬が寂しがる」といのも愛だろう、繰り返すけど犬はだいっ嫌いだけどたとえばの話。
言ってみれば自分が必要とされる感覚、自分は大切にされてしかるべき存在なんだと思えること。
そういう気持ちを何かしらからしっかり得られてさえいれば、たとえ世界中が自分のことを嫌っているとしても意外にたくましく生きていけるものだと一個人としてはそう思うんだけど。
まあそれを何から得るかが問題だし難しいんだけどね。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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